2/2 映画の作家性と収益について、ATGと角川

これまで生きてきた経験と、さらっとWikipediaを見で学んだ情報によって思ったことをただ綴るエッセイ。

 

映画監督の作家性による収益の獲得について、黒澤明監督はできていたと思う。現代、その作家性を全面に売りにして利益を出し続けている作家を、僕は知らない。

 

映画の製作費最低でも200万かかると言われていて、これを基準にしたとき、来場者人数でトントンを目指すと、映画館と利益を半分半分とすると、一人当たり900円になり、2222人呼ばないといけないようだ。まぁ、ここに広告宣伝費など入れるとこんなものでは済まないと思うが。

 

昔、役者はファンが1000人いれば食べていけると言われたが、毎回毎回その役者を見に行くファンを1000人作るとは、なんて難儀なことだ。ましてや、映画監督。2222人も作らないといけないなんて(毎回毎回大金を叩く泣)

 

さて、そんな中、過去を見てみると日本には1960年頃からATGという作家性を押し出して利益を出していた会社があったという。(もうない)

作家性といってもあまりに広いので、細かく分ければ、独創性か、政治的か、いずれかだ。

まぁ、後者に関しては、学生運動も盛んだったし政治的な視野を持つ人も多かったと思うのでなんとかなったんだと思う。

 

角川映画は特殊で、ATGが下火になりテレビ人気が盛んな時代に、映画界に新参者として入ってきた。角川映画は、今ではお馴染みメディアミックス戦略を行い成功を積み重ねた。つながりを用いてパイを増やした。

 

僕はこの時代に生きてないし、2020年目線でしか語れないが、どうも作家性で映画監督が食べていけた時代は、日本人みんなが映画に関心があり、また、暇人の学生が政治に興味があったからだと思う。需要と供給の関係がマッチしたからだと思う。

 

今の時代、日本市場でインディーズ映画は難しい。人口も少ない、映画ファンも少なくなる一方、人々の嗜好は多様化し細分化してる。しかし映画を作るには、安くても200万円かかるのであれば、人を惹きつける要素がなければ収益は見込めない。

 

そうなると、役者人気は映画を作る上で重要な部分だろう(実力と人気…)。

なんとなく、今は精神的な部分で人が繋がっていると思うので、自分にできそうで周りに共通していてかつ、需要のある部分をキャラクターとして売り出すのが吉ではないか。(嫌なことはしないほうがいい)

 

監督で言えば、岩井俊二監督と今泉力也監督、入江裕監督は、しっかりと印象に残っているし、方向性も見せてもらってるから、周りもついていきやすい。俺もそんな風に、ついて行きやすいような方向性作りを大事にしたほうがいいんだと思う。

 

お金を集めるプロデューサーは大変だ。

角がなくては集められない…。

集められなければ作れない…。

 

だから、必要だと思う。

 

古い考えは自己肯定感はもたらしても自分のための人生はくれない。それに必要は発明の母だし。