12/7 ふるさとで仕事をすること
今、仙台から新潟の家へと向かうバスに乗っています。
約3ヶ月、仙台で仕事したり新潟で仕事したりの往復生活をしていたわけですが、ふるさとは素晴らしいものでした、というのが総括です。
地元で仕事をするに、
少年のような意地を小っ恥ずかしく感じたり、
人としての在り方を常に自分に問いて生きてきたりしたわけです。
僕のように地元の知人たちとの交友関係が薄くなってしまった人間にとって、
ふるさとにおいて人の繋がりを感じられることは、それ自体が幸せなことであり、
疲労に包まれた幸福感にゆっくりと浸りたい気分で今はいます。
思えば今回の仕事は、
今年の一月にノリでクライアントの方のドキュメンタリー撮影するという青年の浅ましさからはじまりました。それからコロナが始まり、撮影は中断されましたが、夏には別件で仕事を頼まれました。
動画製作のやり方についてお伝えするというお仕事でしたが、やっぱり動画製作を行うのは難しいものです。(私の拙さが一番の問題でしょうが)
趣味であれば簡潔でいられるものが、
仕事になれば考慮する部分が増えるため、
作業の手が止まるところが多いですが、
それでも「近道はない」というのが、
最終的な実感です。
(だからこそ工夫が生まれるという逆説です)
今回の仕事は、自分が想定すらしてなかった一面に光を当てて頂けました。
それは、「僕にはこういう仕事ができるんだ(能力があるんだ)」というような向上心ではなく、「一隅を照らす」というような意味です。勿論、僕の影を。
なぜそうなったのかは、機会があれば話します。(長くなりすぎるんです)
ぶら下がった目の前の人参を追いかける自分であれば、こうした人生観を得られるなんてなかったな。
芸術家に憧れる、近代的な教育を受けた現代の青年であれば卑下しそうな「感情」でしょうが(自嘲を込めてます)、日々の生活を楽しみたいのがこれからの僕のこれからの流儀。
それは仕事も込みです。
仙台で頂いた仕事は、
そうした「有難い」仕事でした。
そういう、そういう深さ。
新潟駅に煌めく街灯の光を、
待ち遠しく今は感じる。
この帰り道は、きっと他所れ流れたから感じられた、人生の味わいなのです。
本当に、ありがとうございました。
ふるさと、宮城の皆様。