1/19 新潟市長選挙の総合プロデューサーをやった話

だいぶ前の話だが、2018年の新潟市長選挙で吉田たかし候補の総決起大会の総合プロデューサーをやった(というかやるハメになった)。

 

その話を語ろうと思う。

最後まで書いてみて思ったけど、

どのエピソードも考えてみれば当たり前の話である。政治論も優れた観察眼もあるわけでなく、ただの体験だ。だからこそ、当時のことを、思ったとおりに綴ろうと思う。

 

当時私は金欠の極に瀕しており、何でもいいから仕事を探していた。そうしていたら、知り合いの方から給料出すから、選挙を手伝ってみないかと言われたので、勉強になると思って参加した。

 

いざ事務所に伺うと、40代以上の男性の多さ、もしくはリタイア後の男性の多さよ。まぁ、僕みたいな暇人と違い、社会人は仕事をしているから、当たり前なのだが。

 

そんでもって事務所に行き、作業を手伝う。

周りの方は電話がけをしている。これは、どの選挙事務所もほぼ変わらない(知事選は野党が応援する陣営にいた)。ちなみに、与党の方が事務所は立派であることが多い。

 

選挙事務所の面白いところは、空腹に対する処置が多く、お茶・お菓子などには事欠かないことだ。そこには、集団が空腹状態に陥ることへの危機感を感じられる。(人間は腹が減ってるとキレやすいよね)

 

そんでもって、事務所に出入りしたとき、

何も音沙汰なく、気づいたら、

総決起大会の総合プロデューサーを任せられていた。経緯については説明がなかった。

おそらく、唯一元気で暇そうなやつに押し付けるのが良いだろうという判断のもとで決定したのだろう。少なくとも僕はそう思っている。

 

当の本人である僕は、「たまにはそういうことをやってみてもいいかな」くらいのノリでしかなかった。総決起大会には1500人来るし、それだけの人の前でおざなりでも自分が考えた演出を行うのは、楽しそうだと思った。

 

出したアイディアやコンセプトは、開式直前のリハーサルの中で適切かどうか判断された。みんなが思ってるより、政治家は金がないみたいで、二日間予約するなんてことはできないし、人員も対して豊富ではない。

僕らがふだん見る、選挙カーの周りに立つ人というのは、実は自分の時間を削って来ている人が多い。それだけ、候補者への熱量も愛情も深い。逆に言えば、候補者の周りにいる人間を見れば、その人がその組織の中でどう思われているか見分けられる。

ただ担がれているのか、それとも信頼されているのか。僕の見た限り、吉田たかし候補は、誠実な人たちから愛されていた人であった。

 

総決起大会には、自分が作った映像を流したし、その映像の反応を見るのは、楽しかった。式への出席が面倒で遅れてくる人たちの顔も、熱心に聞き入る人たちの顔も、どちらも人間らしいというか、信頼だったり、失望だったり、悲願だったり、悔しさだったりと、結構素直な表情を出すものだ。

 

式が終わり、僕は紹介してくれた方と一緒に弁慶寿司を食べにいった。その寿司は、美味しかった。

 

選挙は、中原八一さんが勝った。

開示日の朝、前市長の篠田さんが突如中原さんの応援を決めたことや、自民党の力によるものが大きかったと思う。

 

僕は、結構悔しかった。

 

 

 

当時から思っていたことがある。

 

それは、候補者は有権者の話を聞かないということだ。

 

「自分はこう考えている。だから、賛同してくれ」という、製品趣向の考えである。だから、大学生に対する意見を候補者や70代の方々が話している意見を聞いて「なんのことやら」と思うことは、多々あった。そして、言いにくさも。

 

この選挙の後、といっても2019年の参院選後、野党側の話も聞きに行った。

そこで僕は、自分の思いを話した。

「候補者は、もっと人の話を聞いたほうがいいと思う。有権者に、目の前で指摘されるべきだと」

 

野党も、人の話を聞くという観点からしたら、与党と何も変わらない。誰も、聞いてくれなかった。求められたのは、「良い」意見だった。

(補足しておくと、そのと野党連合の旗本でもある佐々木教授は、「良い意見だ!」と賛同はしてくれた)

 

本当の民主主義とか、そういう話はどうでも良くて、生活の利便性が向上すればそれでいい。

 

そう思えば思うほど、自分で作る仕事というものが、なによりも素晴らしいと感じます。

 

最後に、選挙活動をしてみて。

 

選挙は、やってみるとかなり楽しいものですよ。選挙活動は、やらなくても人生は終えられるけど、ほんのちょっぴり、人生を豊かにしてくれます。なぜなら、本来は出会うことのない人たちと一緒に理想を追いかけられるから。