9/3 クソジジイの格好良さ

仕事の繋がりは、広がりを感じさせてくれる。映画を仕事でも行うことは、もう少し時間が経てばできるだろう。足りたいものを探すよりも、一点に集中する懸命さが肝要なのは、俺の人生だけでなく社会全土でも同じようだ。

 

近頃、宮崎駿のドキュメンタリーをよく見る。言葉だけで言えば、ジジイの愚痴だらけだ。しかし動作一つ一つの厚みが、巨匠と呼ばれる男と自分との差を歴然とさせる。

 

映画とは、難しいものだ。いくら自覚していても…。足りないものは足らず、なぜそれが足らないのかもわからず、理性ではない神通力に頼らないといけなく、それを役者や他のスタッフが汲み取ってくれるか不安で仕方なく、描きたいものを描けるのか…それとも俺は本当に面白いものを作れているのか、なんていう不安が度々よぎる。そう思っても仕方ないから、体を動かす。娯楽なんて必要ない。苦痛だけが欲しい。

 

俺の生活は、もはや味気ないものなのか。趣味は持った方がいいのか。いや、違う。普段の心構えだ。日常を観察し続ければいいだけだ。

 

自分以外の世界を師とする。

そう、俺はただの生き物なのだ。命を枯らしたいだけの。