8/20 「せめて平均」及び迷走録

金など知ったこっちゃねぇと清々しく生きている人たちへの劣等感は半端なかった。そんな粋な生き方ができるなんて格好いいと思った。嫉妬した。

 

会社について妄想を膨らませるとき悩むのは、しっかり良い給料を渡せるかどうかだ。そこには「せめて平均」という想いがある。

 

「これってどうなんだろう」と考えた。しぶとさを信じるのもいいのではないのか、とも考えた。それは人生経験からいって拒否反応を示すあたり、俺の中でアレルギー物質になり、論理的に考える術を失わせるし、他人の顔を伺い、そこに笑顔を見いだしたくなる。そのくらい不安。

 

「せめて平均」はルーツを辿れば親の教育であるし、それが実際のリアリティである。

 

うん、それはそれだろう。目指すところは平均じゃない。平均は、通過点だ。

 

金にこだわるのは夢のためだ。そして愛がなければお金は寄り付かない。まだまだ、苦心していこう。