1/18 なぜ新潟で映画を撮るのか?

「なぜあなたは新潟で映画を撮るのか?」という質問は、東京に行くとよく聞かされる。

 

そう聞かれるたびに、「なぜあなたは東京で映画を撮るの?」と思う。誰も日本映画界の聖地を東京だと言っていないし、下北演劇のように東京映画という独自の界隈は存在しない。ブランドもなければ憧れる要素も何もない。東京在住ということは、僕にとっては非経済的であり、不健康であり、そして舌がおかしくなる。

まずそこで断念する。

 

東京は、家賃が築年数40年経っていても5万〜6万円になり、まずその時間分、恐らくは1200円×50時間は不動産屋のために働く。また、往復1時間かかるならば、出勤する度にその分映画に費やせる時間が減る。僕は人生でこれまで0円か2万円の建物にしか住んでいないし、今は人口77万人程度の街の繁華街近くに住んでいるので仕事は来る。また、車も貰えた。

経済性に、価値観の違いはつきものだと思うが、僕としてはブランド品の服を買うならば映画機材やセミナー、本を買うなどする方が良いと思っている。なので、ブランドやオシャレで人を判断する人とは仕事ができないだろう。それはもう分かりきったことだ。

また、新潟は食べ物が安くて美味くて健康に良い。ここは、経済的に豊かであれば東京でも同様のことはできるだろうが。

 

後は、日本海気候側の方が、アトピー性皮膚炎の肌には優しいからだ。

 

加えて、海に沈む夏の夕陽は生きる意味を問いかけてくる。もっと感情を大事にしろと、輝きを放てと、訴える。

 

これがおおよその理由で、後の大半は下らない理由だし、その中でも最も下らないものは、

「僕はまだこの土地で何も成し遂げてないから」だ。この感情が僕の根底にあるものであり、狂い酔いしれるエッセンスに他ならない。

 

東京に行って成功するのみでは、人生は一歩も進まない。そこでの成功は業界にいる身としては前提にはある。

 

僕は、orで考えていない。

新潟、東京、宮城に向けて映画を作っている。

それは劣等感もあれば、少年期の温もりや反発心もあり、もっと故郷に居たい、故郷を愛したいという気持ちもある。

 

それらを全て納得する形で叶えるには、

芸術で道を切り拓くことだと僕は僕の作品から教わった。そして、映画を愛している。

 

新潟の豊かさ、新潟の素晴らしさなんてわざわざ語るつもりはないが、伝えようとは思っている(当然負の感情も交えて)。それができたとき、はじめて僕は僕の芸を身につけることができるし、東京ではない日本を表現できるのだ。(そしてカンヌ、ヴェネツィア、ベルリン、ハリウッドはそれを待っている)

 

自己に忠実だから、新潟で映画を撮る。

自己に忠実でない人間を僕は好まない。