1/6 テレビの信頼、ネットの信頼

父から「テレビはロクな情報を流さない。全てはスポンサーの意向」と聞かされたおかげか、テレビに対しての信用はない。親のその憤りは私にはない感情であり、愛憎に近いものがあった。

 

私はネットを信用している。信用していたから、幼い頃フィッシング詐欺に引っかかってしまった時には子供には払えない請求金額に恐れたものだ。また、迷惑メールが回ってきた時も、どうしようか悩んでいた。父には、「無視しときな」の一言で一蹴された。そこには若者の経験のなさを笑ってしまうあどけなさがあった。

 

一日中テレビを見ている老人。

一日中YouTubeを見ている青年。

 

なにか、変わりはあるのだろうか。

 

得体の知れないものに対して忌避感を抱く老人も、一日中YouTubeを見ている青年も結局は同じ穴の狢だと思う。

 

そう思うと、もしかしたら、テレビも今のYouTubeと同様、信頼を売ることに丹精込めていたのかもしれない。今からは想像がつかないだけで。でも、ネットの方が人を騙そうと企んでいる人の数は多く、危なくないか。

 

ネットは世代ごとの印象に異なりがある。そして、どちらもなくても生きてはいけるのだけどもはや生活と一体化し「普遍」的なものになっている。

 

テレビ的な人柄、ネット的な人柄なんてものはあるのかもね。それこそ、映画的な人柄なんてものも。