9/9 人生は止まった

2010年に応援団に入り、2012年引退するでの3年間は強烈で、全てが感動に満ち溢れていた。

 

スキンヘッドの先輩の指導は、「セッション」のフレッチャーそのもんだったし、神と呼ばれた団長の指導では辞書が飛んできたし、ギア1しか使えない自転車を渡された俺はギア6の先輩たちに追いつけなくて結構辛かったけど、そういうもんが全部楽しかった。

 

厳しさ以外にも、夏休みに突然現れた先輩に山小屋に連れて行かれたり、後輩が宿を予約していないおかげで海岸沿いの街で野宿したり、岩手の応援団と交流したり、「どうすればみんな応援を楽しんでくれるだろう」と生きた人生だ。

 

感情ばかりではない。

 

型も、生き様も、全てはそこで培ったもので、未だに塗り替えられていない。そしてこれからも。ただあの頃の態度で、学び続けるのだ。きっと偏屈な奴だとどこまでも思われ続けようが、応援団が俺の全ルーツであり、感情を育んできたのだ。否定される筋合いはない。

 

東京から商売繁盛の理屈を学ぼうとも、

心まで奪われるつもりはない。

俺の言葉がどんな風に捉えられようが、

ゲーテ

「どんな稚拙な言葉でも、誠から出た言葉ならそれでいい」という言葉を胸に生きてきた、

それが日本の美に通じないのであればそれはそれだ。

 

さっさと、世界を眠りにつかせる偉大な夕陽となって、死を迎えたい。