6/27 Re
深呼吸する。腹に空気を貯める。ゆっくりと吐き出す。これだけで思考は止まり、安らかな時間が訪れる。
焦燥・諦観・暴慢を感じているとき、耳元に湧き水を感じる偶然なんて起きやしない。それは小説の中の話だ。流れる時間の勢いを止めて、波を抑えることが人間個人には欲しい。
波を生み出すオールが言葉だとすれば波をせき止める柵も言葉だろう。ただし言葉は魚と同じで水中で生きている。追いかけるのも手の一つだろう。釣ってみるのもありだ。
言葉がどこから来たのか?それは分からない。
しかし言葉で思い出せるのは、訳も知らないまま古典を音読していたこと、そしてBUMP OF CHICKENとの出会いだ。古典は、母から言われ続けていた。。BUMP OF CHICKENは、自分で見つけたものだ。好きで好きで、毎日聞いていた。生まれてはじめて音楽を愛した。
当時から知っていたことだが、歌詞が気に入っていた(音楽は注意して聞くことすらできなかった)。当たり前だと思っていたことが、感動的な言葉に生まれ変わる瞬間を、度々感じていた。BUMP OF CHICKENに憧れて、詩を作ったりもした。
小学校までどっぷりと浸かった。その後は、色々あってBUMP OF CHICKENから離れていた。しかし、今になってまたBUMP OF CHICKENが聴きたくなった。アルバムを買い、耳を傾ける。
音楽は耳で聴くだけのものだと思っていた。違かった。匂いもあった。歌詞を血なまこになって追いかけていた頃の俺がいた。宝箱の中は未だ古びることなく、俺へのエールを送ってくれていた。
嬉しいなんてもんじゃない。俺を見つけてくれた。振り上げた拳が空を殴り虚無とだけ話し合ってきたことを誇りに思えた。
涙を浮かべながら何度も何度も聞いた。欲しい言葉であり解き放ちたい言葉が山ほどあった。こんなにも信じられるものがあったなんて。
6月27日。25歳の誕生日を告げた。
望んだ未来と、今見ている景色は全く違う。
人生は想像以上に悲しくて、辛いことばかりだった。自分に愛想を尽かしたかった。
無理矢理生きてきた世界で、立ち向かってきた結果があるのならば、大切な願いや祈りこそが自分の言葉だろう。
脆く、前時代的な動きや格好でも信じたい夢がある。
想いを届ける相手が見当たらなかった日常も終わりを告げる。探し当てられた。だから、相手と俺とを結ぶ糸を信じ続けていきたい。
P.S.
遂に25歳になりました。お祝い頂いた方々、本当にありがとうございます。