9/2 覚書

映画の魅力は、登場人物にある。ラブロマンスであれば、少年・少女、または年齢ごとの魅力についても考える。同時に人間的魅力を、人格的にも生物学的にも想像する。他には、どこで生まれ、どこの小学校に通い、どんな通学路を進み、ご近所さんは挨拶するかどうか、友達と一緒に帰っていたかどうか、買い食いはしてたかどうかなど想像を張り巡らす。夏は家族と過ごしていたか、休日は家にいるタイプか、友達の家でゲーム三昧か、ゲームで負けると悔しかったか、本気になっちゃうタイプか、自転車は遅かったか、クラブ活動はしてたかなど、作中では一切でない部分も知ろうとする。

 

撮影はポストプロダクションだ。役者を信じて、主人公らしい演技をしてくれるよう頼む。主人公らしい演技とは?それは、物語を前に進めることにある。ポケモンのタケシ、男塾の虎丸、DRAGON BALLヤムチャは主人公になり得ない。解説=情報提供をしているから。コナン君は、提供された情報を元に時間を解決しようとする。

 

オトナ帝国の逆襲での野原一家も、やはり主人公はしんちゃんだ。最後に、物語の本筋ー機械を止めることーに向かおうとする者だけが主人公たりえる。

 

アニメで情報提供してくれる人はネタになり魅力的だが、映画ではそうはいかない。やはり、物語を前に進める人間、自分の中に明確に孕んだ本筋へと突き進める人間が良い。

 

『天国と地獄』の三船敏郎仲代達矢も二人とも使命を抱えている。三船敏郎は職人上がりの人間として優れた靴を顧客に届けるために、敵を退け会社を自分のものにしようとする。事件の際には会社役員としてだけでなく、彼を人として信頼できるか、という葛藤を視聴者に与え、彼が主人公らしい動きをすることで、物語は前に進み、彼の魅力も増す。

 

仲代達矢は、刑事として自分の仕事を全うすることに人生を捧げているかのような人間だ。だから私生活を感じさせず、常に物語を前に進めようと奮闘している。犯人の動向一つ一つの可能性を吟味し推理、または犯人を罠にかけようとする意志が、犯人へと一歩一歩近づく。

 

主人公とは、物語を前に進めるであり、自分の中に使命を持っている人間なのだ。