6/17 青春に賭けたい
09:00 起床
09:05 『ホモ・デウス』上巻を読み終わる
第5章は、具体例は理解できたが、筆者が最終的に何を言いたいのかは掴むことができなかった
最後に「現代社会は人間至上主義の教義を信じており、その教義に疑問を呈するためにではなく、それを実行に移すために科学を利用する」という記述がある
この問題について下巻で展開していくのだろう
10:00 「世界はなぜ『ある』のか?」を読む
形而上学的発想は実際に存在しないことのある種の無意味さと生活の糧にならない思考であるから一時遠ざけていたが、生活にも見通しが見えて余裕が出てくると、再度向き合いたくなるものだ
世界の成り立ちには興味があったが、キリスト教の神話はどうも人間至上主義なとこが苦手で、むしろ輪廻転成などの一巡するという仏教の解釈の方が気に入っていた
本書を読んで形而上学をWikipediaで調べてみると中国の易経の中において形而上学とは「道」のことで世界万物の本質、根源であり、形のないものという
また、その形のないものがいざ実体のあるものに変遷した場合、「易経」はその状態を「形而下」とし、その状態にある物質を「器」と呼ぶ。「道」は「器」の根源であるに対して、「器」は「道」の発展形としている
私は形而上学というよりも、心理学や政治のように人間の感情に訴えるものにどこか魅力を感じてしまうのだろうとは思う
12:00 昼食兼朝食
12:30 「ウインドアイ」の『知』を読む
13:00 吉田の動画をチェックする
14:30 シネ・ウインドとクロスパルに映画の本を探しに行く
本を濫読し、映画監督の自伝を読めばきっと道は見つかると思っていたが、実際に読んでみてどこか仮定と本音に行き違いがあるように思えてきた
「自分はなにを探しているのか?」と自分に問いかけてみる
きっと、何かに頼ろうとしていたのではなかろうか
もっと言えばすがる知識がほしくて最近は形而上的なことに頭を張り巡らせていたのかもしれない
しかし、頭が悪いからか、理解にどうしても苦しんでしまうし、どこか自己啓発書の要素を求めている自分が見つかって嫌気が差す
無知であることを恥じていたのだろう
学べば学ぶほど人は無知であるのは当たり前なのに
自分は頭が良いと思い込みたくて読書をしていた側面を知ると、馬鹿馬鹿しくなる
だから笑って終わらすことにした
それでも腹立ったから、海老せんべいを買った
理由はない
16:00 帰宅
16:05 ポテトと海老せんべいを食べる
シンデレラのモチーフ、ノーランの『インターステラー』を先取りしていたかのような描写がある
このような独創性を手に入れるには理屈じゃない何かが必要なんだ
その何かが、俺に宿ることを祈ろう
俺は道を歩む
17:00 今日取材させていただく相手への質問を考えていた
どうすればドラマやエピソードは引き出せる?どんなことを相手は聞いて欲しいのだろう?
はじめてなので、まずは質問の数を出すことを意識することにした
17:30 「ウインドアイ」『モルダウ事件』を半分朗読した
17:50 取材を行う
反省点は多々あったにせよ、質問を60個ほど考えていったし、自分なりのベストを尽くしたのだと思う
特に人の話を聞くことに集中してたのは、今までにない経験だった
自分の知識や意見を言うこともなかったのも、個人的には嬉しい体験だった
今回の取材は、有意義な体験だった
道は拓ける
自信になった
21:00 帰宅路
「なぜ新潟でやってるのか?」
こういう質問に対して、「勝ち筋」の答える
「勝ち筋」の説明のうちに、なぜか心の鬱憤がよみがえり、マグマが煮えたぎる
「ちげーだろ?もっとお前単純だろ?感情が騒いでんじゃねーのか?」なんて言われているみたいで、ぶっ壊れたダムみたいに怒りや鬱憤が全方向に放出されそうだ
たかだか、勝ち筋
ただ俺は、ぶん殴りたいだけなんだなって思う
ぶん殴るってことが、倫理や道徳よりももっと原始的な、人々の繋がりを生み出してくれると思うのだよ
常に勝てる戦いなどない
青年期の俺なんて、ただただ負け腐ってた
だが、負けていないときの自分は、
卑しくて節操のない虚しい人間だ
奇跡的な大勝利、ジャイアントキリング、伝説の一戦、
胸が熱く燃えたぎる一瞬なんて人生の中で早々来ないのは分かっている
だが求め続けなければソレは来ない
その欲求こそが俺を色づかせ「人」にしてくれると信じている
その状態こそが俺にとっての幸福であると思う
見果てぬ夢、終わらない反抗に、心を任せたい
青春に、賭けたい
21:45 取材をまとめる
いい感じ、いい感じ
24:00 寝る
追伸:
毎週月曜日に更新されるキン肉マン
その予想外の展開に震えてしまった
俺はキン肉マンなしではもはや生きていけないのだろうか
キン肉マンを理解してくれる人よ
はやく出会いたい