6/10 「神話」と「近代社会」
09:00 起床
09:20
他人を強く拒絶し続ければ人間は空っぽになる
生きていくならば、教わった、学んだ良いことは他人に還元しようとすれば、自ずと空虚さはなくなり胸に喜びが満ちるのではないかと考える
09:30 脚本術の勉強
本日はシークエンスについて
シークエンスとは、日本語に訳せば「連続」であるが、脚本上においては、「全体を構成するうちの1つのブロック、繋がり」というようなニュアンスを持てばいいだろう
要は、シーンの塊だ
シドはシークエンスについて、
「共通の意味・目的を持つシーンの集まりとして、"発端" "中盤" "結末"を持っている」
と述べていた
シークエンスを組み立てることの利点については、「いろいろな要素をいろいろな方法で組み合わせて、記憶に残りやすく、興奮するようなダイナミックなシークエンスを作れることだ」としている
個人的にはそれ以上に、構造立てることで、より細部を想像できるようになり、脚本を1つの工業製品として捉えられる
私にとって脚本という製品の中はブラックボックスであったから…
今までは、衝動的に製品を作っていたが、
だからこそ多くを作れはしなかったし、
精神を擦り減らす機会が多かった
脚本を書く、というとても自由な活動の中で、このような構造を学べることが今の自分にとって大きな財産たり得るし、選択肢が増えた以上、余裕も出てきた
11:20 「ウインドアイ」に収録されている「天使の死」を読む
理解しがたいが、こういう存在の不可思議を感じさせてくれる描写は好きだ
11:30 昼食
12:30 脚本術の勉強
今回はカードを使い、「書ける!」と勝負に出られるような直感を養えと、作品を細部まで描けるように想像しろ、と言われた気分だった
「今面白いことをしている」という感覚を常に保ち途切らせないことに脚本を書く上での真髄があると思える
自分の能力を最大限に活かせるようなモチベーションを築け!といったところだろうか
13:50 仕事しようとした
そしたら、この時間帯のWi-Fiの電波が悪いのか、全く進まなかったのでよりダラけることを選択した
14:30 脚本術の勉強
本の後半にかけては、とにかく書き進めろとシドは言っていた
あらゆる妨害衝動を排除し、萎えた気持ちを全て吐き出して自分が何に悩んでいるか把握する
自分のペースで書き続けろ、周りと話し合って書ける状況を生み出せ、といった内容で、
壁にぶち当たったとき、もう一度読み返そう
16:00 養生テープを買いにいく
16:30 漫画館にいく
18:00 帰宅
一向に良くならないWi-Fi環境との戦い
インターネット環境がADSL時代と互角のスピード
モデムに近い3階に中継器を置くことで少しはマトモになるのだろうか
だれか劇的な改善策を求む
19:00 夕食
19:30 進撃の巨人をみる
20:20 「ウインドアイ」の『二人の少年』を音読
この作品の不可解な要素は、
①ディックが突然現れること
②お話を二度繰り返すこと
③ルピンの開き直り
にあると思う
そして、これらを引き立たせるのは、
ディックが話したお話の中で、別の人物がお話するという、劇中劇中劇のような構造になっていることなのではなかろうか
ここに人は目がいくから、名前のつけられない不安に襲われるのだと思う
この点がタダのカモフラージュか、それとも何か別な部分と結びつくと、不可解な点が明らかになるのではないか?と、予測が立てられる
ディックの真意とルピンの心情を見極めたい
21:00 写真展の企画を立てる
まずは砂丘館のギャラリー蔵を調べた
演劇や映画で劇場を使っていだことはあったが、会場費が想像以上に安く、最高でも13000円程度であった
ただ、「営利、営業、宣伝目的での利用はできません」とあるので、ここはしっかり聞いておいた方が良さそうだ
会場費がこの程度なら、やれる
思った以上の、手ごたえにワクワクする
こうなれば、メンバーは未知数に賭けるのもよしだ
22:00 『海獣の子供』第1巻を読む
作品を読んでも解説はできないので、感想を綴る
この作品は、人間社会の群れにいられなくなってしまった1つの個体の話から始まっている
次に、近代社会の枠組みから逸脱した2人の少年に出会う
具体的に言えば、この少年たちは幼い頃ジュゴンに育てられており一般人よりも長く海中に潜れるなど、身体能力が並みの人間とはかけ離れている(それはイルカ同様に陸が苦手というデメリットも生んでいる)
この2人の少年のうち一方は、自ら研究素材となることを申し出た
「自分が何者かを知りたい」という理由でだ
これは、19世紀末に画家ゴーギャンが発表した『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』という近代社会に対する問いかけとイコールで結び付けられるだろう
現代日本では共同体と呼べるものは少ない
それは人々が「神話」を信じなくなることを意味する
『海獣の子供』という作品では、おそらく、主人公2人が「神話」のような存在なのであろう
「神話」とはなにか?
それは、世界がどのように誕生したのかを伝えるものであり、自分がどのように誕生したのかを理解するための思想のことを言う
つまり、ゴーギャンの問いに対する答えであると私は思うのだ
だから本作品では2人の少年に、この世界の成り立ちを背負わせているのだと思う
そしてその「神話」に触れることができる現代人とは、近代社会の産物である学校からはみ出した人間だ
本作品を読んで思う
繋がりがないのは寂しく、
お金では決して手に入らないものだ
繋がりは、ゆっくり時間をかけて結びつかないといけないし、コミュニケーション能力も高くないといけない
近代社会は、富を得るには素晴らしく便利であるが、市場に出回るのは安易に手に入るものばかりで、いつまでも人々が持つ「寂しさ」を解決はしないし、心の豊かさには程遠いようだ
もっと、「神話」「伝統」を見つめ直すべきではないのだろうか
作者の五十嵐大介氏から、そう問いかけられているようだ
23:40 寝る