7/3 処世と感情

今日は処世と感情、それぞれの鈍器で殴られた気分だった。

 

処世で学んだのは、感情的になることが無意味で、淡々とやり過ごすことが最良の判断であるということ。全く正しくない結論なのに、それが最良だから、そうせざるを得ない。同時に、人間の限度を考える。長期間は身体に毒だ。見逃さないことにする。

 

感情について取り上げるエピソードは、クリントイーストウッド監督の『アメリカンスナイパー』だ。この戦争映画では、政治的判断は一切語らず、凄惨な出来事と、主人公の家庭における出来事を物語として語る。

 

この作品は俺にとって、ターニングポイントだ。映画監督に憧れる人間としても、現代に生きる人間としても。

 

なぜこんなにも影響を受けたのかというと、ここまで政治と個人の結びつきを描いた作品を今まで見たことがなかったからだ。

 

政治の判断が、個人の人生を動かし、個人の人生が、政治に影響を与える。

 

日本においてはなぜか夢物語のように語られ区別されがちな政治と個人の関係は同一のレールの上に存在すると、強く語りかけてもらっているようだった。

 

日本がいま抱えている政治的・社会的問題はいつだって俺たちに降りかかる出来事であるし、決して他人事ではない。無関心は想像力まで奪うか。

 

10代の頃見ていた景色はもっと輝いていた。信じるべき理想があった。それを大人に語った時、貶してきた人間がいたことを思い出す。

 

20代の今見ている景色は、残酷で、浮ついたバカの音頭に愛想笑いしながら付き合うようなクソつまらない地方のお祭りみたいな様相を得ていて、上の世代がその一端を担っていた、というのが現実だった。

多くの人が経済に関心があるという。イラク派兵のような事件があっても、投票する際に考慮すべきなのは経済なのか。経済を自分から動かずという考えはないのか。そこまで経済とは自分の手から離れているものなのか。

 

親が子に公務員や銀行のような安定した仕事や立場的にも良い会社を勧める気持ちも分かる。俺にはまだそれを動かす力がない。

 

今日がターニングポイントだ。

人と人を結ぶ線である、政治、経済、愛、仕事などなど、その複雑多様な結びつきに目を凝らしたい。