2/11 虚無と濫読

午前3時までスナックで呑んでた。生きることに対する虚無感を肌で感じていたが、こんなものは寝れば治ると思っていた。だけど、次の日の朝には、そうした事実から逃げてはいけないと、思った。

 

虚無を感じたのは、ポンジュノがアカデミー作品賞を取ったことにある。アジアの快挙に、Twitterで、多くの若手映画監督のツイートが流れてきていた。「日本映画は韓国よりも助成金が…」「これは日本もいけるということだよ」など、ネガティブな意見も前向きな意見も、

当然のことなので理解できたが、それが自分の人生とどう関わるか、その点に関しては何も自分の中に見出せなかった。

 

栄光ある賞を手にすることと、自分の人生が切り開かれるということは、別に同一でないらしい。もし今の自分が、あの場に立ちたいというのであれば、それはみんなが良いと思っている商品だから欲しいといったように、広告に思い込まされているに過ぎない。悲観的観測かもしれないが、アカデミー賞がなぜ素晴らしいのか、自分なりの答えを持てないから、やっぱりそこは正直に、分からないと頭で考えていたい。

 

 

これから、どう生きていこうか?

今日は、そういう問いに対し、ただ素直な気持ちを心の奥底から引き上げていた。

 

思うことは、作品の宇宙観・個人の持つ世界観(社会との関係、プライベートの人間関係、一人の時間)を背景にした上で、登場人物を動かし、お客さんに主人公へ感情移入してもらうことで、劇に夢中になってもらいたい…。

 

だから、濫読を続けたいと思う。

もっと、劇を手に取るように表現したいので。