8/26 「表現の不自由展」への違和感・自論

愛知県で行われてる芸術祭の展示・ニュースについて、映画を製作していることもあり聞かれることが多かったが、自分の発言がどうも煮え切らなかった。というのも、「表現の自由」が題目になっているだけでなく、従軍慰安婦の問題も関係していて、主催者側に賛成しても反対側に賛成しても、全く自分の真意とは異なる捉え方をされそうだな、とステレオタイプで切って取られそうだなという違和感があった。

 

結論からいうと、今回問題になった展示は、芸術品としてはクソつまらないんだ(言った!言ってしまった!)。俺の個人的な芸術論は、現代芸術の方からは時代遅れだと言われるかもしれないが、「人々に感動を与える」ことに重きを置いてあり、奇抜さに重点を置いていない。まぁ、結局は俺が感動するか感動しないかって話なんだけどね。俺は現代芸術、好きなだけで歴史性なんてよく知らないし。でも、「これはこうだから感動するんだ!」って、俺の嫌いな奴の論法なんだよ。知ったこっちゃないし。

 

俺の中で感動ってのは、「感動した!それはこうこうこうだから!」って、屁理屈をこねることなんだよ。その時に、今まで否定していたものを全面的に肯定することもある。人間の熱量が好きだから。

 

今回の問題は、俺の知らない問題が沢山あると思う。でも人間って全知全能じゃないし、知らなくて当たり前のことばかりだから、どうか、

「その展示に全く興味が持てなくて、そのヤバさが分からない人」に訴える作品を作ってくれないかな。政治家やその問題に対して関心のある人だけじゃない、名もなき人々に届けてくれないかな。

 

あと問題となったあれって、芸術作品って呼んでるけど、本来は歴史博物館に展示されるべきもんじゃないの。芸術作品って言えばなんでも芸術なるって、俺はよく分からない。恋愛って性別で人を好きになるわけじゃないじゃん。選り好みしたいでしょ。自分の奥さんから「結婚した理由ですか?仁さんは、男だからです/// 男っていいですよね。え?なんでって?そりゃ男って素晴らしいからですよ///」なんて言われた日には問答無用で離婚届を叩きつけたいよ。俺も奥さんに「女だから好きになった」って言ったら絶対もう口きいてくれないよ。

 

主催者の人、右翼的感情に対して表現したのかもしれない。つまり、彼が想定する右翼の人をターゲットにしたわけだ。それで批判を浴びてまんまと取り下げた。そして「この国に『表現の自由』はない」というストーリーに仕上げた。

 

いやいや、こんなの劇場で流したら、お客さんは不愉快な気分になる。最近のドラクエの映画でもそうでしょ。

ジャニーズ主演の映画は、ジャニーズ好きな人のためにあるの。それなのに主演の人が出てこなかったら怒るでしょ。

ヒメアノ〜ル』って映画がある。主演の森田剛はジャニーズなのに、凄く残忍な役をしていたけど、暴力の中にも華があった。

 

俺はね、今回の件でいえば、右翼の人も唸ってしまうのが、芸術作品の本質だと思う。芸術作品って、芸術作品って呼ばれて芸術作品になるわけじゃない。人に感動を与えて芸術作品になるんだ。

 

政治思想も何もないし、背景もよく知らない。でも、情報のゲームで勝ちたいんだったら、手を抜くんじゃねぇ。辞めるんじゃねぇ。人のせいにするな。

 

そう思うんです。

 

人間って、背中を見て育つものだから。