8/26 「平等と不平等」と人の味

父は、息子たちに平等を敷いた。社会は、人々を不平等に扱う。地方格差。生まれた家庭の差。

 

社会に染まれば不平等はいかんと思う。しかしそのジェラシーが俺の意欲になったのかと思うと社会に完璧な平等をもたらすことに興味がなくなる。というか完璧な平等に俺は殺される。

 

不平等を憂い不平等に救われ不平等で当たり前の夢を追う。

 

平等を求めるのは、可哀想という気持ちからであろう。しかし、手のとどく範囲でしか救えないし、聖者の気分で生きていれば人間の中身なんて永遠に救われないものだ。

 

人類なんてクソまずい肉もうまい肉も入れてるかと思えば、そこらへんに落ちている土を肉とも言う。煮れば食えるだろ、って気分の生き物なんだ。だから食ってみねぇとわかんねぇ。食わず嫌いは栄養失調を招く。鼻がきかなきゃ毒で死ぬ。

 

そんなスリル満点で、生きることさえ億劫、しかしそれを乗り越えれば楽しいのが、「食う」って営みだ。出会いっても言える。

 

安全管理だなんだ抜かしてるけど、そんなもん人の尺度でずさん極まりない。米国の人間に肥満が多いのも、自国で生産している豚肉のせいだと言う。合法的に、そして行政的に健全な手続きのなかで、薬漬けの豚肉が流通している。

 

何に生かされ何に救われるかなんて分かったもんじゃない。ただね、あれを食ったから健康を害したなんて言うもんじゃない。美味そうに食ってた時もあるだろう。