8/31 8月終われ!!!俺は自動的に進む

自分の監督を務める作品の準備が始まってきた。どうしても一つのことに没頭しがちになっていたけど、他の分野に手を出すのも楽しい。結局、自己満足かもしれないが、まわりのおかげで贅沢にさせてもらっている。

 

脚本を良くしよう良くしよう、と考えていたが次に考えるのは、監督としてどう人を動かすかだ。時には予算の管理や、制作面の動きもする。また、当日は俺がカメラマンだから、そのカメラマンとしての動きも気にする。

 

カメラマンとしての自分を引き出すには、

役者と美術がこだわってあると嬉しい。

だから、自分の中の監督に伝え、その監督はプロデューサーに伝える。プロデューサーの自分は色々考えているが、「監督の好きなようにやらせてあげます」なんて言っている。この一連のやりとりのうち、プロデューサーが他人であればどれだけ幸せなことか。言っても仕方がない。プロデューサーの俺よ、働け。製作側は楽しんでる。

 

しかしプロデューサーの俺にも考えがないわけがない。アイツは、なんだかんだ人を集めるのは上手い。だからアイツが本気を出せばいい。そうすれば、元は取れる。アイツの役割なんて、大損しないようにあくせく働くだけだ。

 

どいつもこいつも保身は走る。全部他人だったら賑やかだ。俺の心の中だと、賑やかすぎて鬱になる。最近はそれも楽しめてきた。最終的には千葉仁の物語だから。

 

ヴィジュアル面における才能がなさすぎてあれこれ悲しんでいたけど、もう気合いで乗り越えるしかない。「悲しみよこんにちは」だ。サガンじゃない、めぞん一刻だ。

 

今思えばめぞん一刻を読んで、「10代じゃなくても(あだち充じゃなくても)こんな恋愛できるんだ!」と興奮していた6年生の僕。お兄ちゃんの机の引き出しを漁っていました。

 

あぁ、絶望するよ。でも偉そうに作る。自分の感情に素直に走る。弱気だ。偉そうにする。なんか釣り合いが取れる。ならそれでいい。

 

昔見た自分は、大企業に入って権力の傘の下で偉そうに振舞ってればそれでいいとおもってた。今はね、「俺はできる」って根拠のない自信の傘の下で猫背なのを隠すために肩甲骨を内側に寄せて肩を切らして風を鳴らしている20代。ただ、この人生の方が、好きなんだ。