2/4 撮りながら考える ー仙台に降り立ったー

じっと、カメラを回していた。ずっとずっと、「その時」が来るのを待っていた。未来は予想しかできなくて分からないけど、勘が、教えてくれる。

 

20歳を過ぎて訪れた仙台という土地は、倫理観の低さと異なる価値観を混濁して考えてしまう真面目気質な土地だということが、最近わかってきた。でもそれは、恥ずかしがり屋なのと、ちょっと頑固なだけだと思う。(彼らはそのマイナス要素をマイナス要素として受け取れず、誇りに思っている)(また、語弊がありそうなので補足するが、今回撮っている人を指してはいない!)

 

僕にはその発見の一つ一つが、新しくて面白い。

 

今回は、とある人物の眼差しを通して仙台を見ている。見て取れるのは、新潟もそうだけど、仙台も、街が傷を負っている。

 

仙台で、個人の力は、本当に高まっているのだろうか。新潟の方が、粒がある気がしている。

(何をもって粒としているかははっきりとは分かっていないが)

 

ただ一つ言えるのは、

こんな憶測も偏見も簡単に壊れてしまうということだけだ。(こういう価値観は新潟で学んだ)

 

今は、こうした取り留めもない価値観の中でー価値観に絶対なんか存在しないからただ迷うだけの僕はー、撮りながら、考えるのだ。

 

 

追伸

常に正しく、常に間違い、常に迷うのであれば、常に考えていたい。新しさは好奇心を刺激し、僕を楽しませるから。僕にとって、価値観はそういうものでもあり、ヒステリックでもあり、生き字引だ。