2/14 濾されている途中

新潟に住んで、6年目。街の人間に苛立ち(ガキだから)、街の景色に苛立ち(ガキだから)、街の食事に喜んでいた(ガキだから)。

 

でも、美しい人のその美しさを撮れることは当然であり(見たことのない美しさは含まない)、醜さに美を見出すことの方がとても難しい。それを見出せるのは、その醜さに対して真摯な姿勢で向き合っている人間だけだ。

 

今、僕は新潟に6年住んできてこの街への偏見が濾過されている、そんな気がする。面倒なものが削ぎ落とされ、長年の付き添った夫婦のように、相手の嫌な部分に目を瞑ることを覚えたような、不思議な感覚。

街も人も、ギャーギャー騒いだって変わらない。何も、変わらない。そんな当たり前が心にインストールされるまで、6年もかかった。

 

ただ、もう少し時間が欲しい。

時間を旅していれば、もっと、不必要な気持ちが残り、美味しいコーヒーができると思う。

 

その時が、今か今かと、待ち遠しい。