1/31 異常に難しい自分らしく生きることと、俺には必要なかった「行動力」
太陽だろうが雨だろうが、私の家にとっては同じ光量である。
生きていると、角が立つ。
人生に乗ることが第一だから、
不必要な角に心を悶着させる時間は全く要らない。
私はこれまで、「行動量」の絶対値を上げることが人生を生き抜く秘訣だと思っていた。しかし、家の外に出て行動しても大して経験値にならないことが多かった。
その原因は、まさかのまさか、
「自分から動くこと」であったのだと思う。
至極簡単にまとめれば、
「誰にも期待されていない状態で、自分が動いてしまうと、受け入れてもらえず能力を活かすのに必要なエネルギーが削られてしまう」ということだ。
素直に考えれば、行動力の高さは褒められるものだと思うし、頭では納得してきた。だが、どうやら私の人生は、行動力の高さではなく、「いかに良い誘いを受け入れるか」で切り拓かれることの方が多いのだ。特に、仕事は。(最近は、自分から動いた後、相手から提案されたおかげでうまくいくことが多い)
クーネルワークの坂井さんに「Instagramメディアで発信したら?」と言われたが、「ぼく、劇しかできないんです」と割り切れっちゃったくらい、デジタルメディアで自分から何か人に向けて発信するという行為に、やる気を感じない。(YouTuberもVlogもあらゆる形態を模索したが、動く気には一切なれなかった)
そういえば、相当な実践主義であった。
また、確かに、誘われた時ほど努力する傾向にあった。東京で初めて仕事した時、想像力を生かし、「(お客さんのために)舐められないこと」「(お客さんのために)後悔する瞬間をなくすこと」に全力を捧いでいた。
改めて思えば、予算内での仕事の時の割り切りなど、毎回毎回心を騙しているから、鈍くなっていく感性に虚しさを感じていた。
上限のない映画撮影は、
枠作りも中身を埋めることも、
独創が許される。
脅迫観念と表現欲求と好奇心が、お客さんのための作品を生み出す。
そもそもが白紙ほどの軽薄さで生きてきた私に重厚な文化をもたらしてくれたのは、バンカラと自由を愛した仙台一高応援団である。
学んだのは、滅私奉公、自重献身。
これら二つが、マスメディアや他人から求められるアーティスト像とかけ離れていたため、自分の文化を忘れていた。
私が応援団で自分で勝ち得た経験は、
「人を悪く思うのは自分の心であるから、
すべてを許せるほどの熱狂で生きよう」ということだ。(青年時代特有のエゴイズムも、劣等感も、理想主義も、すべて必要であった)
私は、誘われたい生き物だ。熱狂と好奇心が、心の住処だ。今はきっと、色々ある時期だ。だから色々してしまうのは仕方ない。自分の在り方を探っていけばいい。(ふわっとしているが、それが事実)
この性質だから、使われることがあったのも仕方ない。なかなか仕事に結びつかないのも、月5で働きたいし出社したくないから会社に入れず導いてもらえないのも仕方ない。しかし、周囲の成長に合わせて俺も伸びていくのだ。それは、嬉しい。
独創は仕事は金銭には結びつかないと思っていた。しかし、最近はそうでもないようだ。世の中が精神的な価値観を追い求め変化してる。新しい物語を、憧れた物語たちを編纂した新しい物語に、命を費やしたい人たちが生まれてきている。俺は、その物語の語り手として生きていければいいだろう。
難しい人生だ。
俺は俺で、自発的行動と献身的行動を合わせ俺のための劇を作ろう。薬ならぬ劇薬を投じよう。人間のどうしようもなさを笑おう。
そして仕事が来るのを待とう。
人間の陰陽を伝える努力をしよう。
現実に打ちひしがれ理想に溺れ常に哲学し際限なく苦しみ続けるバカどものための映画を作ろう。
そのために命を粉々に燃やし尽くせれば、
どうしようもない夜に飲みたくなる酒のような映画を作れるだろう。(更には誰とも争わないですむ!)
是非、みなさん誘ってください〜!