8/7 好きなことを仕事にしていない

「好きなことをする」ということが職業を指すのだとしたらまったくもって好きなことを仕事にしていない。得意なことと大して上手でもなかったことをミックスさせて食い凌いでるだけだ。尽くしたくなる良案件なぞ、まず来ない。

 

昨年好きだった仕事はどれも新しい世代のために自分が何をできるかを自問してきた、という自負心があった。

 

今好き好んで取り組んでいる仕事も、相手が見えている。相手が見えていれば本気を出す甲斐がある。架空ですらない存在に恋できる人間など人類史上いただろうか。このような質問はややこしいだろうか。

 

一体なんのために好きでもないことをしているのかといえば、目指すべき理想「贅沢は味方」に最短距離で近づけるのがこの仕事だったからだ。「贅沢は味方」という概念は、金銭と精神衛生という両輪で回る。スーパーで「今日は…」なんて思う俺はみっともない。明日死ぬのに財布の紐を強く結ぶ倹約家に近づきたくない。

 

映画は贅沢だ。貧しさを崇めたて祀っていては永遠に良い役者に出逢えない。美術より役者だ。人だ。『ボヘミアン・ラプソディー』でフレディがデカい家に一人でポツンと佇む場面があったが、俺はあれが嫌いだ。現に4階建てビル住まいに住む俺だが、このビルを虚栄の城にはしたくない。

 

贅沢のために、金の獲得を考える。

 

自分の脳味噌が一番俺の口に栄養を運んでくれるし、映画を生み出す智慧を与えてくれる。

貧乏暇なしはサヨナラ、「貧しさこそが敵」。

 

贅沢は味方だったり敵だったり、貧乏が味方だったり敵だったりと、クレジットカードの利用額及び通帳の残高次第で寝返りをうたれる俺の人生だが、今日は思い切って牛タンを喰う。(半額かつ自炊)

 

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