5/30 ニヒリズムと死への欲動、そして「わるあがき」
10:00 起床 昨日の夜まで百田尚樹の本を読んでいたからかなりの朝寝坊
10:10 スピーディーに行動 ごろっとグラノーラを食べる
11:20 勉強 まとめ方が見えてきた
12:00 昼食 バナナ
13:00 仕事をする 企画書作り 仮の案を出すために頭をひねっていた
14:50 終了
15:00 外に出て悩む
以下、悩んでいた文章をコピペ
最初は鬱々としているが、
途中から話が急に変わる自由連想
↓
今は小学生の時と同じくらい自由に時間を使えてあの頃違い意識的にやりたいこと、やるべきこともあるけど楽しくない
一番楽しかった頃は高校の頃だ
言ってしまえば楽だ
これで俺はようやく楽になれる
今が一番楽しい
そう自分を納得させることで
今の全肯定しようとしている自分がいた
理解した、
俺は大学入って虚無を味わってからずっと高校時代の楽しさを求めて生きてきた
その大きな喜びがないことが挫折となっている
今ようやく肩を落とせるのは、
どうすれば自分の人生が楽しくなるか、
別な方法で探しているからだ
毎日をどうやって楽しむか
あー、生きている意味なんてない
どっかに属してストレスも感じたくない
自分が何を目的として人生を楽しんでいるかさサッパリ分からないが、何が苦痛で楽しいかは分かる
最近死にたいなと思うのも、
生きててつまんねーなと思うのも、
死が虚無の底にいるこの日々を一瞬で消しとばしてくれるからだと思う
ただじゃあなんで死なねーの、って思うと、そんなニヒリズムへ必死に抵抗しようとしている悪あがきしているからだ
悪あがきは俺の美学だ
成績も悪く、顔も良くなく目立った取り柄のなく自暴自棄になりがちな俺が必死になって身につけた技が悪あがきだ
悪あがきといえばポケモンだ
そう思うと俺の技ポイントなんてもうないのかなって思う
ポケモンセンターにも通ってないし、ピーピーエイダーも使ってないと思うと、
なんていう縛りプレイをしているんだと気づく
ポケモンセンターにもいかず拾ったアイテムも使わない縛りプレイ、なんていうバカな戦いをしているのだろう
非効率的な生き方である
しかし、効率的な生き方が好きかと言われれば全くもって好きではない
そういう人生のどこが面白いのか分からない
タケシと戦う前にヒトカゲをリザードンにして俺つえーっていうのは楽しくない
リザードンだけ育てても、
レベルが高ければ強いからそりゃ勝つのは当たり前だ
チャンピオンだって倒せるだろう
リザードンはそれくらい強い
それよりも、ポケモン金銀の話だけど、
ウツボン、ヤドラン、マルマインで戦った日々の方がよっぽど記憶に残ってる
さらに言えばパラセクト六体で冒険したものの最初にフシギダネ選んだせいでグリーンのリザードンに全員ワンパンされて死んだことの方が楽しい
テリーのワンダーランドで言えばマドハンドとだけで冒険した日々
マドハンドとゴールデンゴーレムを配合してマドハンドを作った日
そのマドハンドにゆうしゃと名前をつけて冒険したこと
強いキャラクター1体だけで戦うよりも、マイナーだけど可愛かったり面白かったりするもので戦った方が良い
(ポケモン金銀版の四天王みたいなこと言い始めた)
人と違う遊び方の方が面白かった
もしかしたら俺は今でも縛りゲーをしているのかもしれない
映画という東京でやるのが当たり前で地方でやるなんて「なんで?」って聞かれることをしている
悪あがきでゲームクリア
いいね
今は一体だけで頑張ってるけど、制限を緩めて六体まで育てていいのかもしれない
俺が好きなポケモンで「わるあがき」だけで戦う
もしかしたら縛りゲーが俺の生き甲斐なのしれない(5月も不買運動してたし)
俺は変なのが好きだ
ーーー終わりーーー
ふざけて考えると、案外思考が広がって面白いね
「わるあがき」っていう団体を作ってもいいかもしれない
15:30 図書館に行く
中村文則「銃」の一行目にある
「女は銃を持っていた。その銃が盗んだものか、それとも拾ったものかは分からない」(うろ覚え)という文にめちゃくちゃ共感した
そうだ、俺たちって生の実感も何もかもないんだよ
朝起きたときに隣に知らない女がいたり(そんな経験はねぇ)知らないうちに服が汚れていたり、もうよくわかんないまま出来事が進行している時があって、その時間に対する無力さから、大事なものまで忘れそうな気がする
16:10 帰宅
17:00 書いていた脚本がよく分からなくなる
俺は何を描きたいんだ
鉄男をやりたいのか?地獄甲子園をやりたいのか?一体どうしたいんだ?
18:00 迷いを抱えたままびっくりドンキーへ(俺はびっくりドンキーが一番お店の中で好きだ)
そこで気づいた
今まで感じていた現代小説や映画への不満を
それは何かというと、
現代小説や映画に、俺がいないのだ
俺が感情移入できるキャラクターがいない
俺のなりたい姿がない
そう感じたときに昨日読んだ「カエルの楽園」や「ポルシェ太郎」、映画「告白」を見て抱いた時の、消化不良感が納得した
どれも、現実に逆らわない人々の話で、
ただただ無力感を感じる
そこに、俺はいない
だから、新しい知識を蓄えたような感覚に陥るのだ
そうだ
この世に、俺が楽しめる映画がない
だから俺は俺のための映画を作ろう
ほとんどの人が理解不能でもいい
俺のための映画
ハンバーグディッシュ150グラムを喉にかきこみながら誓った(300グラム食べれたなー)
19:30 ホームセンター二階のクラフトショップに行く
粘土の種類豊富で感動
ストップモーションアニメがやりたくなる
20:00 マクドナルドに行く
マクドナルドの店員の顔、女子高生の顔、おっさんの顔を見て気づく
きっとここには俺の悩みや想いを具現化された映画を楽しんでくれる人はいないだろう…
そっか、こじらせた人間のための場所で俺は上映し続けよう
そして、いつか日の目を見よう
21:00
映画を作ること自体が咆哮だ
俺自身を映画の中に入れた時
きっと、理解できない、つまらない、
という意見の方が多くなる
それでいい
自分を入れない空虚なお話を作るより、
自分自身を介入させ執念を持って
作品を完成させる
そっちの方がマシだ
自分を救え
舞台で死ね
明日は朝から東京なので早く寝るとします