1/28 「おれ、劇しかできないんです」
今日、駅前のロイヤルホストでクーネルワークの坂井さんとお話しした。(トンカツ頼んだ)
キッカケは、天下の大ブログ「BANKARAは一日にしてならず」の大人気記事「なぜ新潟で映画を撮るのか?」を坂井さんが読んでくれたことによるようだ。
いくつか話はあったけど、僕の強欲にまつわる話が75%は占めていたと思う。クーネルワークでおそらくマネジメントなどをやっている坂井さんとお話ししていて、僕に坂井さんが持ち合わせている才能はないと思い知る。(二時間前に話した伊藤豪さんとのお話で営業の才能が僕の中には何もないことを知ったばかりだ)
僕がブランディングを考えている話をしたとき、坂井さんはInstagramメディアで発信したらどうか、という提案をしてくださった。そのお話を聞いて、色々考えた。その結果出た言葉は、「おれ、劇しかできないんです」なんていう、冷静に響く言葉だったのが、印象深い。
劇に憧れ、劇で人生を切り拓こうとした、
これまでそういう人生だった。
濃く深く、話した。
大概覚えてないし、覚えている内容はまだ非公開にしかできない内容だ。(それだけ面白いということでもある)
フィリピンで映画を撮った時も、フランスの監督が新潟で映画を撮りたいと新潟市に無茶ぶりしたときにたまたま僕が映画を撮っていたことも、今回記憶に残っている話も、どれも僕にしかできないからこそのお話だ。
何故僕にしかできないかといえば、
映画をやっている、そして暇だから。
誰よりも暇だから。
僕は忙しさを理由に仕事を断ったことはない。(あったらそれは…ゴメンなさい。自分を美化しすぎる癖が出てます)
社会には、隙間が多い。
表現者はその隙間を表現する。
しかし、風刺家とは違う。
風刺家は、当事者ではない。
賢人ぶる老人のやることだと思っている。
表現者は、何が問題かは分かってはいないが、問題の渦中に自分の存在を認める。(スタンスの話)
表現者は、正義を知らない。
今回も、隙間に居続けた僕にしかできない案件らしく(だからこそ実現したいね)、めちゃくちゃ面白い内容だと思う(実現したいもんだね)。
その実現のためには何が必要なんだろうか。
でもまぁ、きっと実現することになる。
萬代橋の上でハートが動いている自分を感じたし、高揚感に浸りいくつもの信号を無視した自分もいた。
ということはつまり、明日からの俺が全部どうにかしてくれる。
P.S
坂井さんから「アーティスティックな人間だと思った。だからふつうの仕事は頼めないと思ってた」と言われ、「ちょちょちょ」となった。人から見られる理想は叶っていたが、財布が伴ってないのは困る。
P.S.2.
5時間話すと脳が悲鳴を上げる。
ブドウ糖が幸せを運んでくれる。