1/16 欲望の罠にかかる(だからこそ欲望は美しい)
今年は、間違いなく欲望の塊になっていたと気づく。昨日の机上の空論は欲望が故にパーフェクトで欲望が故に壊された。恐るべき俗性な根に自分でも驚かされる。しかしここがビジネスマンと表現者を分ける第一線であり、それがゆけ、私は表現者だ(世間知らずとは言ってはいけないよ)!
さて、反省した青年は昨日Kindleでダウンロードした「ハートドリブン」という本を読んで猛烈に感動していた。何がって、内側の成長を考えろって言葉が外界に金銭欲を見た俺にとっては劇薬だからってことだ。著者の道も思うところはあるが、結論に俺は感動して久々に泣いた。
それでいて映画は金がかかる。何故こんなにも金がかかる。この金がかかるというのが、映画産業の足元で生活している人間にとっても同じだから、すげえ。
映画にまつわる金銭問題を考え過ぎたあまり、
私の人生の使命は、この金銭問題を解決し、
日本映画界に携わる人間を幸福にすることなのではないかと思った。神託である。
思わぬ天命を受けた狂人は、そのあと情報商材のセミナーを受け、盗むところは盗み80万という高額を払わずに撤退した。そのころ私の胸に宿ったのは、「まず生活できるレベルを会社の状態で整えることじゃね」という気持ちである。
そもそも狂人が考えていたのは、周りを焼き尽くす業火の炎のような計画である。そうした炎は内側に潜め暗黒荒野を進むためのランプにすべきであって、人に向けて使うものではない。
壮大な夢を目論む俺は、欲望の罠にかかってしまったが、それは人生の豊かな1ページになるだろう。
人生をなんのために生きるのか?
答えはなく、しかし道を求め続けることに面白さはある。だから、破壊された机上の空論の中から湧き出た内側の祈りに耳を傾けることにした。