8/28 欠陥品・最低品質

地元の後輩と食事をし、故郷、そこに住む人々との不思議な縁に恵まれたことを感じた。

 

結論からいえば、小学校、中学校時代の僕は、どうしても欠陥品・最低品質という自覚を根っこに抱えて生きてきたような気がする。方々からクレームを耳にタコができるくらい聞かされて、よく落ち込んでいたね。

 

顔がカエルみたいだと友達に指摘されてから、鏡を見るのが辛かったなぁ。その友達も、自分のコンプレックスを指摘されていた。

 

僕らは、間違いなくそれぞれが欠陥品で、色々な方法で埋めようとしていたんだ。悪口、妬み、努力、勉強…。互いに埋め合おうとした。僕は、埋めてもらえた。人にもっと見てもらいたくて、笑って欲しくて。それができない日々は四年と長かった。タカアンドトシの「欧米か」を真似してから、みんな笑ってくれて嬉しかった。「好かれたい、愛されたい」って気持ちが成就したから嬉しかった。みんながいたから、埋められたこと。嫌な思い出もたくさんあるけど、今は幸せだ。

 

今、髪を染めて、不定期に働く生活をしている自分は、どうやら故郷の多くの人とは違うらしい。今更「そっか」なんて思う。新潟って、まだ自由だったんだ…。

 

生き抜く力を手に入れても、愛は手に入らない。毎日、自分の役割を演じてナンボだった。あの日々、僕が貰ったものは間違いなく愛だ。

「仁だから、しょうがない」

 

神様の過重労働で生み出された欠陥品は、みんなが与えてくれた生き方をしていくしかないんだと思う。いくら騒音に掻き消されたとしても、大地には樹を育むたくましさがある。

 

言の葉が生まれる前の、オノマトペの一つでいられた。僕はね、いつだってこのままさ。