2/26 銭湯の中で1時間考えたこと

銭湯で1時間、人生についてぼんやりと考えた。そして、ただ単に、真っ当な人間でありたいと思った。

 

真っ当な人間とは、僕の中では、運命に抗う人を意味する。現代人は運命を壮大なもの、実生活からかけ離れているものと捉えているが、古代から現代まで関係なく一貫として一人一人の内側に内在する。

 

たとえば、グローバル社会が進む今、選択肢は、自分の意思関係なく狭められていると思う。それを当然だと、選択肢なぞ少なくて当たり前であり僕の言うことを感傷的だという経験論者に対しては、人間は自分の選択を正しいと思い込みたい心理があると科学的な根拠付きの事実を述べたい。

 

もちろん僕の意見で事実は捻じ曲がるわけでもないので、おおよそ大人の世界ー僕が19年間生きてきた社会ーでは、それが正しいとされる。

ここまで経験的な見解を詰められれば、僕の見解は価値観の否定にしかならず、同じテーブルで話すことさえなかなか叶わないので、その社会を出たのだと思う。

 

ただ、自分の気持ちに対して真っ当な人間でありたい。そのためには、今は、運命に抗うのが真実だと思う。

 

抗った後、自由とお金を手にしたのであれば、畑を耕すことを故郷とする人に土地があるよと言い、理不尽さを否定し女性の生きやすい社会を作りたい人に機会を届け、そして私の居場所を保つための努力をしたい。

 

他人から見れば理解できない生き方を全うする狂人でありたい。一個の人間の絶対的価値観を、剥き出しにしたい。

 

昂ることも最近はなくなった。

気持ちよく、寝れそう。