6/24 俺の辞書から抹殺すべき言葉たちへの鎮魂歌

孤独には2種類あると思う

 

大きな畏怖すべき存在と対峙したことによる恐怖を救ってくれと願う衝動

 

もう1つは人と触れ合っているのに孤独であると感じてしまう現象

 

エーリックフロムが言っていたことを要約する

「愛と仕事が人との繋がりを生み出す」

 僕はこの言葉を思い出し、後者としての孤独が、愛のない状態であると考えた

愛のない状態とは、愛を貰えていないということではなく、人を愛そうとしていないということだ

 

好きでいてもらおうとすることと、

愛することはどこか違う

 

告白するよりも、告白されるほうが好きだった

そっちの方が、自分にとって価値があると思っていた

なぜ、小学生の僕は愛することよりも愛されることの方が価値があると思ったのだろうか?

 

中学生の頃、人を笑わせるのが好きだった

その頃はとても心が充実していて少年期特有の空模様が心に映っていた

 

高校生の僕は、応援団で人を奮い立たせることに日々自らを震わせ、心を痛め、もがいていた

3:7の割合で喜びと苦しみがあってもやれてこれたのは何故?

「応援してくれてありがとう」と言われて明日を夢見れたのはどうして?

 

19歳、浪人していた僕は評論文の面白さに触れより言葉の世界(それは内向的な感情)に片足を踏み入れていた

 

20歳、大学に入った僕は、故郷で培ってきた、他人への眼差しの行き場に悩んだ

そしてその僕を励まし続けてくれたのは、

「映画」であったと思う…

 

24歳と362日。

 

今の僕は、一昨年の僕と昨年の僕にとって永遠の課題とも思われた自力で食べていくことへの見通しが立ち、何をすればいいかが見えている

自分なりのお金の使い方が見えてきて、

昔の僕が知りたかったことを、ちゃんと今の僕は学んでいる

 

だとしても。

 

これは違う。

この生き方は、僕の理に背いている。

適っていない。

 

熱血とか興奮とか、そういう問題じゃない

 

人としての何かが足りない

 

成長すること

前進すること

それだけでは絶対に手に入らない幸せが、

欲しいのだ

 

もはや、生きていて虚しい

なにも、幸福ではない

むしろ自覚していないだけ不幸だ

 

集合体Uにおける

トリムすべき、否定すべき、黒塗りとすべき部分への眼差しはもはや済んだのだろう

 

芸術、アート、アーティストという言葉を俺の辞書から抹殺しよう

 

それよりも最上位概念に映画がある

ああ、それでいい