6/22 風来のシレンを買った
08:30 起床
08:35 若さについてふとわかったことがあった
若さとは、「燃え上がろうとする感情」と定義した時、現行の社会制度は「可能性の排除・禁止」を前提に整備されているのだから、夢や理念、生き甲斐がなければ若さは歳とともに失われていくことになる
この若さを取り戻そうとした時、人は2種類の行動をとる(それ以外はまだ思いついてない)
1つは、恋をすることだ
恋は感情を心の髄の奥から天高く湧き上がらせ、人間に使命や生き甲斐など、およそ人が得られるであろう最高級の幸福をもたらす
しかし、「独身」ならまだしも「彼女」「家族」など同じ倫理観を持たなければならないと思っている相手がいるとき恋をすることは一般的には良くない結果をもたらす
内心で終えるならまだしも、映画『アメリカン・ビューティ』のレスター・バーナムのように中年男が家族のいる状態で恋をしてしまったら家族崩壊への引き金を引いてしまうことになる
分かっていてもやってしまうのが「浮気」「不倫」であるが、これらは人間に若さをもたらす作用があると思える
ただ、割り切っているならまだしも、恋の欠点は何年か過ぎれば湧き上がる感情も薄れてしまうことにある(なくなってしまうこともあるだろう)
そうすると、ふたたび「若さ」を欲したくなるのではないだろうか…
もう1つは、新しいことを始めることだ
新しいことを始めれば、最初は楽しく結果も出やすいから気持ちも乗りやすいし、新しいことを始めると人間が変わった気持ちにもなるから動機としては十分だ
これは続けられれば万々歳なのだが、多くの場合、壁に当たり飽きてくる
若さは続けることが難しい
それは感情が一時のものだからだろう
萎える心を抑え込むのは知性の役割だろう
男女の関係ほど、好きでいつづけることが難しいものはあるのだろうか
人間だから歯車はズレていくだろうし気持ちもすれ違う
「私はやったのに、彼はやってない」と公平でないことへの憤りを覚え始める
そう思ったら地獄の入り口で、果ては意見の応酬となってしまう
なので、そうならないために愛という無償で人に尽くす、という概念の出番になるのだが、これは果たして感情なのか?それとも知性なのか?
これからは、若く老いるために、愛すること(続けること)について考えていこうと思う
愛ってロマンチックに聞こえるけど物凄くテクニカルで険しい道を歩む行為に思えてくるよ
09:30 メシ
10:00 疲労で休む
12:00 「上手くいかないこと」には原因と理由と解決策とビジョンの4つの要素が足りないのかもしれない
14:00 仕事をする
19:00 風来のシレンを買った
23:00 萎えてきたので日記の方向性を変えていこうと思う
また明日