8/7 好きなことを仕事にしていない

「好きなことをする」ということが職業を指すのだとしたらまったくもって好きなことを仕事にしていない。得意なことと大して上手でもなかったことをミックスさせて食い凌いでるだけだ。尽くしたくなる良案件なぞ、まず来ない。

 

昨年好きだった仕事はどれも新しい世代のために自分が何をできるかを自問してきた、という自負心があった。

 

今好き好んで取り組んでいる仕事も、相手が見えている。相手が見えていれば本気を出す甲斐がある。架空ですらない存在に恋できる人間など人類史上いただろうか。このような質問はややこしいだろうか。

 

一体なんのために好きでもないことをしているのかといえば、目指すべき理想「贅沢は味方」に最短距離で近づけるのがこの仕事だったからだ。「贅沢は味方」という概念は、金銭と精神衛生という両輪で回る。スーパーで「今日は…」なんて思う俺はみっともない。明日死ぬのに財布の紐を強く結ぶ倹約家に近づきたくない。

 

映画は贅沢だ。貧しさを崇めたて祀っていては永遠に良い役者に出逢えない。美術より役者だ。人だ。『ボヘミアン・ラプソディー』でフレディがデカい家に一人でポツンと佇む場面があったが、俺はあれが嫌いだ。現に4階建てビル住まいに住む俺だが、このビルを虚栄の城にはしたくない。

 

贅沢のために、金の獲得を考える。

 

自分の脳味噌が一番俺の口に栄養を運んでくれるし、映画を生み出す智慧を与えてくれる。

貧乏暇なしはサヨナラ、「貧しさこそが敵」。

 

贅沢は味方だったり敵だったり、貧乏が味方だったり敵だったりと、クレジットカードの利用額及び通帳の残高次第で寝返りをうたれる俺の人生だが、今日は思い切って牛タンを喰う。(半額かつ自炊)

 

fuck 

8/6 【二投稿目】銀の匙

中勘助銀の匙の音読が今日終わった。一ヶ月前に始めた銀の匙…。少年の想い出に深くダイブ出来なかった俺は、昔のことなんていちいち思い出せなくなってしまったようだ。

 

この作品は、少年時代を日本語の擬声語の豊かさで抑揚良く仕上げた美文で成り立っている。文章はあまりにも美しく、跳ね除けられた気分だった…。

 

しかし、兄のくだり、お国ちゃんのくだり、姉とのくだりなど、どこか感じ入る切なさはあり、どうもシミジミとしてしまう…。

家で読むよりも図書館の方が、一人で読むよりも複数の方がもっと緩いペースで楽しめたんじゃないのかなと思う。一人で走るに勝手を言う馬鹿はいない。

 

明日からは何を読もう?夏目漱石の『明暗』か?ブライアン・エヴンソンの『遁走状態』か?

 

俺にはまだわからない。明日には明日の風が吹く。そして俺はまだ寝ていない。

8/6 尊敬できる人たちからの仕事

今日は、朝の9時から寝るまで美容室の採用説明会向けの動画を製作していた。技術力のなさに憂鬱になるが、寝食を忘れ向き合う自分は好きだ。演劇の公演をうったときも、朝から晩まで考えていた。夢中になれる機会を得られたことが幸せだ。

 

動画の内容はインタビューだ。この美容室には20代が多く、地方でこんなにも若者が生き生きと働いている会社はなかなかないと思う。

 

朝の8時半に伺う頃には既にアシスタントの人たちは着々と練習を始めている。結果は、コンテストの優勝や上位入賞という形で現れている。

 

仕事に対する哲学も、私生活に対する考え方もとにかく後悔しないという想いが強く感じられる。

 

あぁ、自分の分野で一人前になりたいと思う。

そして素晴らしい才能と出会いたい。

類稀なるセンスと出会いたい。

ひたむきに努力する人間と仕事したい。

 

人生の果実はきっと、人間との出会いにはあるはずだ。

8/5 仕事上の敗北

「正直もっと良い案はあった」と思えたならば俺は敗北している。良いものを世に出さなかったらそれはただの敗北だ。愚痴とは、敗北と思わず絵空事をただ夢見ていることに気づかないことだ。

 

負けの原因は、いずれにせよただ自分に実力がなかっただけに過ぎない。勝つまで負け続ける。そして俺はそれでいい。そのくらい単純でいいし、ハッキリしていていい。

 

今日も負けた。それはそれ。

俺は真剣に仕事をしたことを誇りに感じている。ストレスは伴侶だ。憂鬱は生涯の友。

 

 

8/4 HSC型HSPがもたらすもの

昨日、自分がHSC型HSPであるのだろうということが示されたうえでの今日という日は、緊張と話し合えた記念日となった。

 

色んな出来事からは逃げたしたい人生でさっさと天国に逝っちまいたいと高望みする一方で、真正面から向き合った後の開放感はたまらない。ただそれが躁鬱の原因でもあったので、感情の高ぶりも抑えていたのだが、ケースバイケースだろう。失敗の許される環境に居れば、情熱は注げる。

 

気力の振り分け方が分からなかったが、徐々にコツが掴めてきた。やはり、極端な緊張が俺に結果を出させている。全てを受け入れる覚悟ができたとき、俺がこの世界で一番最強(何をもって最強かなんてどうでもいい)という自信が生まれる。今までそうやってきた。

 

冷静さも、HSPも、熱狂も、全ては極端な緊張から生まれる。負けたくない、ここで終わりたくないという想いは不条理な時間と衝突するから、俺の命を使って未来を俺のものにする。それは幸せとは違うだろうが、最高だ。だって愛に満ち溢れているのだから。生きる意味があるってもんだ。

8/3 ならざるものへ

仕事とは何のためにあるのか?

 

お客様とその周りにいる人たちなど目の前にいる人だけでなく、一緒に仕事してくれる人、支えてくれる人にとって良いことをしたい。

 

自分だけじゃなく、世の中がプラスになるための方法を探りたい。そしてそのために人を平伏させるような力よりも、話を聞く耳を持ちたい。

 

共感できる人、結果を出せる人、世の中を良くできる人、優しい人、難しくない人、よりよく生きたい人になりたい。

 

人に希望を与える仕事をしたい。

映画がくれたものは、熱狂だけではない。熱狂は、希望に付随する性質だ。

 

 

8/2 鏡の中のナルキッソス

昨日、役者の募集を始めた。思った以上の人からの応募があり、それだけで心が暖かくなった。20通以上来たあたりで、いいな、って思う人の特徴があった。

 

それを、数点上げていく。

 

①全体の雰囲気

まず、僕が見るのは顔だ。僕の場合、男性の顔が格好いいかどうかは問わない。また、顔のパーツの中でも目を見る。

次に、服装や髪型に目がいく。個性的な服や髪、時代性のようなものを表現できていると良い。

最後は写真だ。その写真家が、誰なのかを想像する。誰に撮ってもらっているかは、十分考慮すべき点だ。

 

顔は良いかもしれないが、写真になるとその良さが目立たなくなっている人がいるのはとても残念だ。

 

②文章の体裁

丁寧なだけで人柄が伝わる。添付ファイルもこちらの手間を考えさせないものであると、尚更嬉しい。

 

③熱意

熱意と書いて、アピールポイントと読む。

 

今回僕は、好きな本やモチーフにした映画、作品への想いを簡単に載せた。

それらに反応してくれるだけで十分嬉しい。

感想やこういう想いがある、と言ってくれるだけでもいい。

 

僕は、本当に好きな作品は自分が一番愛しているのだと思い込む酔狂な人間だ。そこに関しては周りを寄せ付けようとしない人間だ。

 

だからそこに触れられ、かつ持論が展開されていると癪に触るので良い。というか、人と会わず寂しいので意見を話してくれるのはポイントになる。

 

つまり、ここが役者にとって監督を思い違いさせる部分なのだ。俺自身も迷わないよう努力はしているが、一人選ばないといけない時、最後は熱意が決め手となる。

 

 

実力あっての熱意だ。

しかし、実力と経験は違うし、熱意は経験や実力を凌駕する。だが、熱意は出せと言われて出せるものではない。

 

合わないものは合わない。合ってしまえば、それが美しいとか綺麗とかどうでもいい。

 

そもそも募集するのも人との出会いの面白さ、未知なる可能性に賭けているだけだから。