1/23 俺たちにしかない色を作ろう

「色づくり」という言葉に最近は熱狂している。 その話の前に、人間について語る。

 

最近、「この人と仕事は作れないな…」と思う人物の特徴は、「自分の色を出し過ぎている」ということに尽きると分かった。もっと具体的に言えば、成長意欲が感じられない、ということである。更に突き詰めれば、昨日までの自分を変化させるつもりがない、ということだ。(人を笑わせる人、猛烈なツッコミをしてくれる人間は大好きだ)  

 

これまで動画製作をしてきたけど、その多くは「請負」である。ある仕事の話だけど、

上司は俺にはない色を出せと言い、担当者はどんな色を作ればいいかは任せるとし、取次は色づくりに興味がない、というパターンが心にこたえる。

 

仕事に対して辛さを感じてきたとき、たまたま出会った海外の日本人から、その人の活動に対するドキュメンタリー製作の仕事を受けた。

僕は最初もらった提案を、鵜呑みにしていいものか悩んでいた。悩んだ末、ドキュメンタリー映画ではなく、劇映画の勉強をした結果生まれた「魅力的な主人公をつくる」という仮説を提案した。それは、その方の活動を直接撮るのではなく、その活動を実際に体感する少年を通して、物語を語ろうという提案だった。

 

あくまでも僕の感覚だけど、あれ以降、周りの方々が動いてくださり、思いもよらない映画が作れそうだ。きっと、それは映画のテーマからは予想のできないもので、かつ、新しい時代を切り開きたい人たちー伝統をただ享受することに黙っていられない人たちーに、刺激を与えてくれるのだとおもう。

 

引き受けた金額も大きく、プレッシャーや自虐に心は傷をおいかけていたが、あのとき、勇気を出して提案してよかったと思う。(なお、クライアントはガンガンやりたいことをやってくれ、色々思うことはあったが、自分なりの視点を残しつつ、その遊びに興じたのも良い思い出だ)

 

どの世代にも、仕事に対する価値観はあると思う。でも、僕が面白いと思うのは、自分たちにしかできない色を作ることだ。それは、自分「たち」という言葉に集約されている通り、一人では作れないが、二人以上ないしそれ以上の人間が組み合わされることにより威力を発揮されるものだ。

 

色は、光によって初めてその本質を表す。(闇ではなにも見えないもんね)

人間にはそれぞれ異なる光源があり、それぞれ別の色を持つ。一人では、どんなに頑張って思い込んでも一つの色しか発揮できない。でも、二人なら違う。そこには、別の色が生まれる余地がある。そのためには、自分をオープンにし、相手の色を受け入れる気持ちも、自分の色をして正直に話す気持ちも大切で、何一つ欠けては作れない。

 

そして、自分たちの色を、社会がいま出している色と組み合わせていけばいいと思う。

 

そういうのが仕事なんじゃないかと思う。

映画でもなんでも。