7/4 RYUTistのマネージャーと、ある場所のプロデューサーと飲んで
今日は夜、仲良い会社の人と出会って、
かつRYUTistのマネージャーさんと会って、
なんか酔っ払ってた。
批判されつつ、大人や青いことを言われつつ、
言い返しては笑ってもらって、
批判されたのはすこぶる、幸せだった。
飲むペースも早かったけど、
なんか楽しかったから、良し。
結構思い出なんだ。
おれはおれをそろそろかえないといけない。
向き合わないといけないものに出会ってる。
まだ人生に責任をかんじてないのかな。
ちょっと、考えたい。
7/3 燃える案件
無理難題は燃える案件だと思った。
やってないことだしそれだけ身につくことが多いし余裕が生まれるのはでかい。
以前一週間で67本仕上げたこともあったけど、
夜中の23時に依頼が来て25時に提出し
評価を得られるあたり、便利屋としての側面も実は持っていたのかもしれない。
しかし、こんなのは二回はつまらないからやれなさそう。23:30に依頼が来て24:00納品は結構熱い気がする。
というか、無理難題を提案できる人と久々仕事した感はある(相手がテイカーじゃないと知ってるからこそできたことではあっても)。
そういう仕事はありがたいなぁと思う。
いやいよって時に身に返ってくるしなぁ。
失礼じゃないか、と勘ぐる時もあるかもしれないけど失礼な方が実はまだ良かったりする時もある。センスある「失礼」というのがこの世にある。それは俺がぶつぶつ言いながらも楽しんでる。
手塚さんは、いきなり三泊四日の映画合宿をされたとき、なにを感じたのだろう。
結局は自分がドMなわけで、
それは中学時代いじり倒してくれた友人のおかげであり、16歳から18歳の青春期の賜物だ。
稼ぐ稼がない、世のため人のためなど
そうした軸では決して辿り着けない
私的なお遊びが心への栄養補給だ。
7/2 少々人間が変わった
あるコンテストで、2位になった。
僕は動画の下請けなので、プレゼンにはいなかったものの、その2位という成績は悔しくはあるが、実は嬉しさもある。
一位はどこかも誰かもわからない。
しかし、2位に辿り着くお手伝いができたのは、確か。
欺瞞と事実と視点、
ポジもネガも同時にあり偏らない。
躁と鬱の両極端のなかで、作ればいい。
僻まなくなったようだよ、
死んでくれルサンチマン
6/30 うまくいくときと、いかないとき。そして内向
世の中は狂っているので、
業務が合理的な展開にならないことはよくある。しかしその中で結果を出すため-惨めな思いをしないため-にはいかにすればいいか?
結論から言えば
外的要因と内的要因に分かれ、
外的要因を食い尽くしていけばいいのだなと理解した。
なお、
「うまくいく」とは、「自分も相手も満足」が条件で逆は一方のみであるとき。
【うまくいくときの要因】
①その会社の情報が極端に不足しているにも関わらずシナリオ・絵コンテを書く場合
・たった一点でも他社と異なる点を見つけその一点をテーマに深掘りする
・その後はペルソナを想定し好きなものを作る
・そして好きなものに合わせて映像的な繋がりを意識したデモ動画を作る(絵コンテではない)
・それに合わせて音楽も製作する
しかし上記のようなものは「絵空事」でしかないので現場では直感で動く、他の人の思いつきも現場でふんだんに取り入れることで、喜んでもらえる動画が作れる
(元請け様からも評判良く、私が作った動画で新規も獲得できたとのこと)
事前に情報があるかどうかと面白いものが作れるかは実は「別物」
むしろ調査しなかった分先入観なく、
かつ相手の時間も奪わなかったことを考えるとこれで良かった。
②依頼者が「高度な意味」で伝えたいことがあるのに相手に予算が不足している時
・予算が少ないのは悪ではない
・30分でどれだけベストを出せるかなど困難をゲーム化する
・好き勝手やる
・新しいことをしてみる
→普段から情報収集など自分に新規性を取り入れておけはいくらでもストックは溜まる
この仕事は「高度な意味」で伝えたいことがある場合というのが注目点。つまり既に脚本となる素材が、プロットの原型のようなものはあるということ。(本や資料など編集がなされているもの。打ち合わせや思いつきは使えない)
ド下手な映像は、カメラボタンを回すことと映像を作ることを同義にしている。
(こういうのは大概トレンドしかやらない)
良い映像には会話がなくてもシナリオがある。
つまりこの場合は素材が素晴らしいのだから、あとは自分のセンス次第でどこでも作れる。
結果的に、相当な反応を得られた。
まとめ:
温室よりも環境が厳しい方が得られるものは大きい。
【うまくいかないときの要因】
ーまだ能力や経験でカバーできる部分ー
・何故作るのかを全く理解できないとき
→使用意図は存在しないことが多い
・アイディアが無意味に奇抜なとき
→これは作ると相手は喜ぶが自分は喜ばない。
これはそもそも自分の脳味噌の使い方として不都合なことが多い。
ただまぁ、いなせる部分なので
ここで不平を言うのはクリエイターではない。
ーカバー不可能(紛れもない外的要因)ー
・長すぎる縦割り
→最後の部分でひっくり返り、動画がぐちゃぐちゃになることが多い。良いものを作るよりそつなくこなそうとする人たちが多いとこうなるのかも。
・意識がお空にある
→都内大手広告代理店が作ったものしか見てこなく、そういったものができないと満足できない層は一定数いる。有名な人が出ているかどうか、ブランド的な価値があるものを基準に考えているので、数万円で外注するものの億規模の結果を求める時がある。
地雷ワード:
「映画っぽい感じ」「あの有名なCM」
上記は企画を練っていないことが問題である。
企画を練るとは思いつきを話すのではなく、何かしらの媒体に多くの人が共有できるものとして編集するまでが、企画を練るという。
企画は誰かが担うものであるが、
何故か一番下の立場の人が実質的に担うことがある。まぁ、それが分かればむしろ結果を出しやすくなるのだけどね。
まぁここまでだらだらかいてたけど、
要は「自分のテンポとリズムを維持するためいかに外的要因を排除するか?」なんだろうなと思いました。
だからまぁ、外的要因もいつか飲み干せるといいな。
以上。
6/29 問い合わせの増加と私
(読みづらくした)
最近になって、仕事の問い合わせが増えるようになった。
理由としては、これまでと同じことをしたくない(他のとことは違うものを作って欲しい)、
若い人の感性でお願いしたい、動画でブランドイメージを作って欲しい、そんなとこだったりする。
俺に頼むなんて、最近になって世の流れが変わってきているんだろう。
世の中に溢れている動画に飽きてきたのはある。まぁ、流行なのかもな。
ただまぁ、そこらへんの流れは数年前と違う。
数年前は、俺の行動も思想も延べて価値がないとされていた(俺はそう思ってる)。
俺のそれは暴走や馬鹿と形容できるが抽象度を上げれば「個性」と呼ばれるものだと思う。
そういうものは、過激であればあるほど不必要とされ、白けた理論(パッケージとか見栄とか)が重宝されていた。まぁ男は見栄を張るのに時間を潰す生き物だから、分からないでもない。
女性はもっと違うところがある。
要は稚拙でも似たようなものを作るよりは人と違くても個性的な方が良いという人が増えているのだ。また、広告代理店に頼むと高くつく上に個性的になりにくいこともどうやら浸透してきているようだ。
だからまぁ俺に頼むのは、
白けた理論より訳の分からなさを求めるというものにあるのだろう。
それはごもっともだと思う。
俺だってこの文章すら訳がわからず書いている。一生も訳がわからん。わざわざ自分の思いを今時の言葉に変換して他人に伝えそれを本質だと思い込むほど自分を上手に割り切れない。ただ、割り切れる人は酒の味を知らないんだろうな思う。
広告代理店は仕事を裁くことが基本であるから、それ以外の業務は覚えないというイメージがある。ブレーンとかで取り上げられる人は、月刊誌だから取り上げられた人もいるだろうし、本当に高い企画力を持つ人もいるにいるのだろう。高くついたとしても面倒な業務を投げたい人やブランド価値が欲しい人にとっては最善策になり得るのだろう。
別件であるが、最近同業やフリーランスの人と話していて共通しているのは、
「(自分が)好き勝手やるとうまくいく」という類のもの。それは決して自己満足に留まらず、コンペで受賞していたりする。
こういう実例は世間にはごまんとあると思うが、「人を探す」のは多くの人にとって日々の業務ではないのだろう。新聞記者やメディアの多くが「自分が取り上げた事件」よりも業務を重視していると経験的に思うので、より一層感じる。
そう思うと業務はできて当たり前、
+αがなければ新しい価値を生み出しているとは言えないという結論は出る。
おそらくこの+αこそ「自分らしさ」「個性」と呼ばれるものの領域だし嗅覚の出番だと思う。それは模索に代表される充分な時間をかけた錬磨が必要だと思うが。…。
以上。
6/27 26への緊張と新種の感情
6/26,23:00くらいからどうしてか、緊張感に襲われた。あと1時間でアラサーに突入することがどうして今の自分にとって意味があるか分からないが、妙にそわそわする。(26歳になった人はみんなこの道を辿るのか?)
6/26は、ヤケに仕事に集中していた。
普段は好まない仕事をあえて引き受け、
最高のパフォーマンスを叩き出そうとする。
それを求める業務でなければ予算でもなく
納得のいかない注文をつけられはするだろうが
それでも俺は必要以上に過剰に拘った。
胸のざわめきも今起きている集中力も、
いつもと違う。
布団に入ると、
身体が興奮している事に気づく。
力が体内全身に漲っていた。
その躍動感の正体は、高校生的全能感と同様の類だが、間違いなく新種の躍動感だった。
伝わらないのを恐れず言えば、
自分にとって脅威でありたいのだなと知る。
心の奥底(本能)から沸き立つエネルギーや
破壊の好奇心を活かしていい。
地獄論(ないし事件論)、
悪人論(および幸福論)を遊び極め打とう。
それが、26歳に至った自分の心模様なようで。
おかげで4時に目が覚め、「作れ」と怒鳴られた。