4/15 もう少しでアレが見れる

自分の能力の低さが感じられれば感じられるほど、ある部分がとても愛おしく思え、その一点に人生を捧げれば、自分の人生は幸福であると思える、そう感じています。

 

あまりにも低過ぎれば、割り切れる。

 

そんな逆説的な現象と、

ちょっとしたビールが幸福を生んでくれています。

 

たくさんの人が難しいと思ったことは、

もうすぐで終わると思ってます。

 

そんな調子で、生きていきます。

4/12 仕事と生活を楽しむということ。

新潟市の古町近辺に住んでから、生活に対する態度を意識するようになった。元々は、デザイナーや美容師さんが多いという理由で住んだのだけれど、今ではフランスの家庭料理を作られる方やファッションデザイナー(をお任せしている方)に出会えたり、芸術家の方と巡り会うことができて、新大前に住んでいた時よりも文化的な生活を過ごせて、幸福度が高い。

(仕事上の付き合いも古町の方が便利です)

 

気軽に寿司を摘み、美味い料理を食べる。

映える居酒屋もいいが、美味くてナンボ。

この街に住んでから、「味」に拘るようにもなった。

 

衣食住、生活。それらが生み出すのが美学。

 

 

普段は映像の仕事をしていて、

もっと社会のためになることをやりたいなとおもったとき、簡単で良いから、雑誌のような読了感を味わえる映像メディアを作りたいと思っている。紙でも良いんだけどね。時代のトレンドと肌を突き合わせて挑戦したい気持ちもある。

 

ただ、一過性の人間なので、

おそらく最終的には紙に落ち着くのだろう。

ラックを自分のZINEで飾れれば、素敵だ。

 

具体的な内容はあるようでない。

洗練ーある程度の計画性と期限内に目標達成する力のことーされるまで待つのも一つの手ではあるけれど、まぁ、背中を押されればやれる気もする。

 

自分と生活に対するただの考察を、動画的体験でお客さんに楽しんでもらうだけですからね。 

臆病なのはいつも通りで、やってみればどうにでもなるというのは経験則による人生デザイン。

 

新潟に、地方に、地元に何かが足りたいと思ってはいたけれど、要するにそれは俺のことで、そんで俺には勇気がない。

なんだかんだ偉そうに言っても勇気は足りない。そんなものである。金麦で凝った頭がほぐれればいいなぁ。

 

臆病なので、今日も高中正義の音楽を聴く。

海沿いを走る風に、ワクワクしたくて。

 

それでは、おやすみなさい。

 

4/7 ビジュアルとサウンドコミュニケーション

どこかの記事で、今はビジュアルコミュニケーションが求められていると書いてあったのを見て、なるほどと思いながらも、何か引っかかっていた。

 

最近、仕事のためにSFXで楽曲製作をしていたのもあり、海外で購入したindustryという項目にあったSFXを聞いてたら、久々に電気ビリビリを聞きたくなったので、席から立ち上がり聞いていた。心を明るくするリズムがある。

 

5Gやらなにやらで、

世の中は映像の時代と言われるだろうけど、

ビジュアルコミュニケーションはサウンドコミュニケーションそのものだろうし、サウンドコミュニケーションはビジュアルコミュニケーションそのものであろう。

 

そう考えると脳内完結はコミュニケーションではないし、美学もない。

 

しかし、音楽は至る所に宿っていると思うと、

げんなりしてしまうね。工夫、工夫。

 

3/2 「食う」

食うという言葉は、ラーメン、回鍋肉、ご飯、たくわん、肉、その他諸々の料理と結びつく。

動物的な言葉、野性的な言葉、一人を感じさせる言葉。

 

食卓で、食べる食事。

 

こういう言葉を、

ふだん使わないような感性と人生を送りたい。

 

P.S.

久々に、とてつもなく分かりやすい記事を書いた。

2/28 飽き飽きした食事

今日これまで考えていたことが確信になった。

ので、さっさと生きようと思い始めた。

無駄を削ぎきりたいと心がけて訴える。

優れた技術を信奉し、自分の道に生かしたい。

 

結局は、世襲なのだ。

上に行けば行くほど世襲であり、

ただの真似事である。

 

それが左右から上下の社会の髄だろう。

しかし、左右もそんな神聖視していいものかとは思う。結局はつまらない孤独に過ぎないのだろうか?

陳腐さに心が過剰に反応する。

つまらない、ただつまらない。

 

既存の体制・仕組みが世襲化され、

ロクでもない奴らに支配され、

自信のない才能が食い物にされ、

ただの死に体となる時代か。

 

寝よう寝よう、飽き飽きした人生には

サヨナラだ。

2/28 境界線のための忘備録

1/24の世界に歓喜の声を上げていたが、のちに音楽をつかないといけないことがわかり、どうしても中途半端になってしまう。音楽は映像を繋げるが、音楽がなければ映像を作れない人間は失職する。サイレントの世界は、軽いノリが求められる業界では大して需要がなさそうだ。したがって、早急に去ることを求めよう。

 

下町から新潟駅まで13分ほどで着くという最速タイムを叩き出し、マルタケビルのスタバに入り、発注の打ち合わせを行う。(今日この時にもコロナウイルスが蔓延しているかと思うと、気をつけなければ)

 

今回の打ち合わせは仕事ではなくプライベートの側面のものであったが、彼曰く「千葉くんのこのコンセプトはもっとみんな聞きたいと思うから、作って一部の人で共有して終わりはもったいないよ」と言われ、まぁそうだよなと思い頷くが、自分から話す気にはなれそうにない。誘われれば話すし、他人にも見せる。(大して自分のプライバシーに関心がない)

しかしまぁ、なんというか、今回の内容は極私的であり、かつ、過激なものである。ただそれは、少年時代にみな親から教わったはずのものだ。そして、日本人のほとんどが実践できていないものだと思っている。

 

中身はまだ知らせたくないものなので、ほんわりといっているが、いつかこのブログに書きたいと思う。

 

その方も、普遍的な内容だと納得されていた。

まぁ、ルーツの話だし。

 

今日は、こんな結論。

 

そういえば最近、雑音が減った。