6/12 『バイス』と『ROMA』

09:00 起床

昨日の夜は、失敗続きのためにストレスがたまり感覚が敏感になり、些細な変化に目が冴えた…。

 

今日は夢を2つ見た

麻雀しながら、全裸の少しふっくらとした東欧の女性に首を噛まれる夢

麻雀は賭け事、勝負の暗喩だろうし、全裸の女性は母的なもので、東欧は異国、異人を意味し、首を噛まれるというのは対人関係のトラブルを指すらしい

 

つまり、予期せぬトラブルに心が落ち着いていないから見た夢なのだろう

 

私は、噛まれてもビクともしないそぶりを見せていたが、もっと正直になった方がいいのか。

 

もう1つの夢は、武術の大会で勝ち上がる夢だ

ベスト4を決める戦いの相手は、どこか見覚えのある見知らぬ女性で、最後は崩れ落ちる彼女を抱きしめた

 

試合をする夢は、欲求不満な表れだ

おそらくトラブルへの思いが積もっていたのだろう

対戦した相手の女性は、思えばひ弱な人間であった

もしかしたら、これが俺のもう1つの側面であり、女性性であるのかもしれない

ひ弱な女性ときくと、自分の中で思い当たることがいくつかあるから

 

9:30 風呂に入る

10:00 『海獣の子供』を読む

3巻にて、ゴーギャンの「我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?」という問いが出た

そして、ジムが作中で、「もっと神話に目を向けるべきだ」という趣旨のことを言っていた

シンパシーを覚える

 

これを読んでいくうちに、バンカラのためにはアフリカや東南アジア諸国の民族を知ること、もっと民族的な部分から人間を観察する必要があるのではないかと思った

 

俺にとってバンカラとは何か?

これは人間の原始的な部分にまで関わっていく気がするのだ

 

 

10:40 「ウインドアイ」の『無数』を読む

「肉体がもしただの乗り物で」

こうしたフレーズには、ときめかずにはいられない。解放された精神性を感ずるからだ。

 

しかしだ。自ら壊死する腕、足についてはなかなか検討がつかない。一体何を言っているのか…。

 

理解は程遠い。しかし自分の感覚を言葉にし、または音読し、はたまた他人の声で物語を聞くことで、新しい理解が生まれる。だかは、私はこの本を読み続ける。

 

11:00 食事

量を減らし、沢山のものを食べる方が手間はかかるにせよ健康的で食費を安く抑えられるのではないかと思えてきた

不買運動の次は健康月間に移るのがいいかもしれない

 

11:30 脚本を作る

遂に脚本をつくる…といっても、ストーリーラインを構築するための自由連想である

第1幕に関する自由連想 

集中的に行いたい

 

13:30 シネ・ウインドへ出発

 

14:40 映画『バイス』を観た

脚本術という新しい注意点を得たのでその勉強のためにも観た

ハリウッドと自分の距離の遠さは脚本を面白く書く能力だけではなく、調査力にもあるのだと思った

そうすると、人脈、コミュニケーション力だって必要不可欠になるし、自分がどのような人間であるかを社会的に証明する必要もある

また、政治をニュースだけではなく、実際の人間関係に落とし込んで何が現場で起きているのかを想像できなければならないのだろう

 

作品としては、ブッシュJr.時代、実質的に権力を掌握していた副大統領に焦点を当てた映画で、そのドス黒さ、国家は平気で国民に嘘をつくのだということを思い知らされた

また、共和党政権が右派からの支持を集めており、ブッシュ大統領然りトランプ大統領然り、「強いアメリカをもう一度」と掲げると、自国利益を優先し他国との摩擦も容赦なく起こすのだと学んだ

 

17:20 映画『ROMA』を観た 

冒頭の30分、話が進むまでは事件が起こらず主人公がリアクションを取るばかりで、ただの労働者としか見れなくて苛立っていたが、男と関係を結んでからの物語は常に予想を裏切り、女性労働者という弱い立場ながらも少しずつ前に進もうとする様子に感動を受けずにはいられない

 

雇用主も雇用主で受け入れがたい現実と向き合わなければならなくなり、徐々に労働者と雇用主が心を通いあわせて行く様を広角カメラで淡々と描いていくことで、登場人物の人間的成長が話をダイナミックにしていく

 

物語は、ポスターやサムネイルになっているシーンへと収束していくのだが、このシーンを見るためだけにこの映画を観ていいと私は思った

 

抒情詩のような美しさで胸打つ映像美に、

冒頭30分楽しめなかったことを後悔した

 

なので、もう一度みようと思う

 

うん、夏休みにでもみんなでみよう

 

20:00 エーリック・フロム『自由からの逃走』を借りる

 

20:30 帰宅

 

20:40 飯を作る とんちゃんともやしとキャベツ

 

21:00 『海獣の子供』4巻を読んだ

「死んでも形を変えるだけ。人間だけが、特定の時間に縛られている」という空の言葉に、かなり心が救われた気分であった

 

24時間同じような思考で生きることはなく、

人はもっと自由な思考で良かったのだ

その自由な思考で求めるのは、素晴らしい国家や倫理的な社会ではない

 

安らかで、馬鹿に満ちた実益のない毎日だ

 

そのために、反抗しなければならない

反抗しなければ手に入らないものがたくさんある

 

そのための自由だろう…

 

もっともっと、古代の人々が目にしていたもの、考えていたことを知り、渡り鳥のように自由に世界を見渡したい

 

23:00 「ウインドアイ」の『過程』を音読

主人公は伴侶といっているがどちらも男だ

そして伴侶の浮気相手であるドッド(主人公の態度からして浮気ではなくただの性交渉として認めているかもしれない)も男であり、主人公もその相手と性交渉を行なっている

 

主人公と伴侶はある共同体のなかで選挙を行なっているが、結果が偶数であるため可決されなかった

再選挙を行おうにも、共同体の人間は最初に考えた意見を曲げることは決してない

 

主人公は「新しい未来」のために、どうすればこの状況が打開できるかを知るためにドッドに意見を聞きに行くと、1人殺して奇数にすればいいと言われる

 

納得した主人公は、伴侶を殺そうとする…ここで物語は終わる

 

なぜ、主人公は殺す相手を伴侶としたのか?

また、なぜここまで男同士で性交渉を行うのか?それとも私が文章を読む上でジェンダーバイアスにかかっているのか?もしくはそんな部分など気にすることはないというのか?

 

非常識な疑問と向き合わなければ、作品の真意は読み取れないのだろう

特定の社会の中での倫理観に引っ張られることなく、正確に文章を理解する強さを自分に求める

 

23:35 今週中には眼鏡を買い換えたい

あと、「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人の主人公がボコボコにする小説も買おうと思った

 

23:50 睡眠

今日はなんだかんだ進められた日であった

しかし、心の中にある苛立ちを感じぜずにはいられない日でもある

もっと、楽な生き方をしたい