5/26 選択と責任
08:00 起床
08:30 朝ごはん キャベツと卵を炒めたもの
09:00 シド・フィールドの本を読む
09:30 吉田の脚本を練る
13:00から打ち合わせだったにも関わらず12:15まで話し合いは続いた
それはシド・フィールドの本を読んだ影響で、
自分たちが考えたことを整理できるようになったからである
構成上の工夫・演出上の工夫・ストーリー上の工夫、どれも同じように見えていたが意識的に分けることでより繊細な感覚を自分の中に仕入れられるようになったと思う
作品を鑑賞する際は、湧き上がった感覚をしっかりメモして保存しておくことは癖にすべきだ
そうすれば自分か誰かが言語化した際に、
嵐の夜に見えた灯台の火のように、
確かに信じられるものと出会える
分からなくても多くの作品をみること
分からないなりになぜ分からないか考えること
自分の感覚の変化を大事にすること
それができればセンスは伸びると確信できる
人間関係・酒など、おおよそ道を目指すのであれば、嗜み程度に留めるのが良さそうだ
13:00 知亜希さんと打ち合わせ、そして稽古に入る
今回はまず、いつも通り修正したプロットについて深掘りするところから始める
知亜希さんは、これまでこうした劇を用いた芸術表現は高校でしかなかったそうだが、彼女と打ち合わせをするとアイディア(それ単体では意味をなさない要素)を超えた意見がポンポン飛び立て刺激的だ
毎度感覚値・解像度が上向きに更新される
それは何故か、今回ようやく分かった
彼女はおそらく日常生活で懐疑的なのであろう
なので、質問が生まれる
そして繊細な点(背中の痒い部分)にまでその目を向ける
そのおかげで、私たちはより今回の作品に「選択肢」を増やすことができるのだ
選択肢が増えれば、必要でないものは捨てなければならない
ならば私たちが撮影するもの、上映するものは自然、撮るべきものへと変わり、良いものを作りたいという「責任感」も生まれる
それは、重圧ではない、高揚だ
魂の震えだ
打ち合わせで魂の震えを感じられれば後はもう前方へ指針を取るだけだろう…
15:00 その刺激的な打ち合わせの次は、吉田が書いた詩の朗読である
なぜ詩の朗読にしたかというと、まだ作品がプロット段階というものであるし、また、脚本は読めばいいものではない
僕は、作品を作る上で大事なのは、
「チャレンジ」と「戦いたい」という気持ちだと思っている
そのために大事なのは、勝つための意思だ
その意思を強固にすればなんでも突破できる
そう信じているので、重要なのは、
感覚値を上げることだ
…
知亜希さんに朗読してもらった
落ち着いた佇まいから溢れ出る肉声は、
ワイングラスが揺れるかのように上品な響きで、風に揺らぐ木漏れ日のような美しさがあった
僕は、
「あ、もう面白い」と惚気た気分になった
感覚値がグンと上がり、
企画者としての脳みそが回転し、
「べつに映画だけじゃなくて、
朗読会も開いてみたいな、
スポットライトを焚いて
即興の音楽を流して…」
と、妄想の域に突入した
(俗に言うクリエイティブ精神)
何度か、朗読してもらった
時にはモノローグを吉田が読み台詞を知亜希さんが、またその逆も試してみた
これは、上演する企画ではないのだが、
こうやって互いの感覚値を向上・共有は、
繊細さを個々人にもたらし
圧倒的な個性を生むと信じている
それは「神」と出会うためだ
(神が何を与えてくれるかはわからないが、僕は虚無を抹殺する熱狂以外は要らない)
朗読会もいつか開こうと思った
(この旨をツイートしたらぺかざす荘のオーナー兼チェロ弾きのはるかさんからリプがきて、感覚値が新次元に突入しそうな予感を感じる)
16:00 17:00に終わる予定であったが疲れたから解散
今回の撮影も新次元に突入できそうだなと確信できた
18:00 パスタ作ったお前
19:00 映画「マスク」を見た
マスクはヘンテコな映画で観た人も多いと思う
僕は、空気が読めないけど自分のユーモアセンスを信じているブサイクな男が好きだ
(まるで自分のように感じる)
そして、その男が、勇気と知恵で難局を乗り切るこの映画の主人公は、まさに英雄だ
いつか、日本バンカラロックep1にて共に演劇をしていた「斎藤のようなもの」を主演で、
ユーモアしかないラブコメディを作ろうと思い描けた1日だ
22:00 シド・フィールドの本、重い
試行回数を増やしていこう
今日のブログは、
人に言い聞かすように(結果、自分を高めるように)書いてみた
というのも、高校時代の友人から「ブログおもろ」ときたからだ
たったそれだけのコメントでも、こちらは読む側を意識できる
すると、彼はもはや「ブログを書いている俺の住人だ」
人に見てもらうこと、
それは自分を高めることになる
人の意識はどこかで繋がっているのではないだろう?(僕はユングの「集合的無意識」を信じている」
それは、とても面白いことだね